熊谷 百華
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ヒストリー

出身地

茨城県

幼少期の暮らし、体験

とても内気な性格でした。

​ごっこ遊びをよくしていたと思います。

風邪や病気にかかることが多く、幼稚園に半分程しか行けていなかったそうです。

​2歳からピアノをはじめ、中学1年まで10年間続けました。練習するのが好きではなかったけど、教室に行って個人でピアノを弾くと意外と上手く弾くことができて褒められたことがあります。
本当はそんなに練習していないのになと思いながら。

小学生になってから体力づくりのためにテニスを始めました。だんだん体力がついてきたのか、風邪をひくことも少なくなりました。

小学6年生の運動会の係で、応援団の係になりました。みんなの前で踊らないといけないのでとても嫌でした。
休み時間に集まって打ち合わせをしたり、後輩と練習をしたり、本番ではちゃんと踊ることができて、なんだかんだやってよかったと思いました。


中学・高校時代

茨城県立取手第一高等学校 2020年卒業
中学時代の部活動は、バレーボール部に入部しました。
​背が低いことからレギュラーではなかったですが、放課後、朝練、休日練、大会、試合には出られませんが休まずに参加しました。
​技術向上を目標に、サーブの練習を続けました。
少しずつ試合に出させていただくことが増え、メンバーからはサーブが怖いと言っていただいたことがあり、技術向上させることができたと感じました。

​体育祭実行委員を3年間、合唱祭実行委員を2年間立候補しました。
​嫌々なった体育祭実行委員でしたが、式典運営や集まりの仕事にやりがいを感じたことから、2大行事の実行員は立候補してきました。

中学1年の時には合唱祭で伴奏者を努めました。
​ピアノを習っていて、弾いてみたかった曲だったので引き受けました。しかし、練習は上手くいかず、男女合同練習で真面目に練習してくれず、伴奏を続ける意味が無いと感じ、曲の途中で弾くのをやめたこともありました。学年の先生や音楽の先生に相談し、なんとか全員での練習ができるようになり、本番を迎えたという経験もあります。
先生方がいなかったから、メンタルが厳しかったと思います。

高校時代には、ハンドベル部に所属しました。
​途中から入部したので、他の部員と技術の差があるので、練習に努めました。初めて全員で音合わせをした時には、自分の実力が追いついたと実感することができました。 卒業式や文化祭の時に演奏をしたり、福祉施設や保育園などを訪問し、演奏会をしました。
​直接感想を得る機会がなかったため、訪問演奏先の方に、綺麗だったよと感想を直接言っていただいた時には、やりがいを感じました。

高校でも、文化祭実行委員を3年間立候補しました。
​文化祭運営のために、ステージの設営や模擬店運営のための許可取り、校内の装飾などを行いました。
模擬店運営は特に、期限までに提出するべきものが集まらないことがあったり、例年とやり方が変わったことで仲間と上手くいかないこともありました。
先生と仲間と協力し、当日無事に催し物が終わった際にはとても達成感を感じました。

大学・専門学校時代

麗澤大学
​TOEICに力を入れました。
長期休暇には学内で開催されるTOEIC講座を受講し、200点あげることができ、要件を達成することができました。

​大学2年生から1年間在籍した学園祭実行委員では、コロナ前の学園祭が分からない中大学3年の学園祭を運営しないといけなかったため、とても苦労しました。
先輩方の力もあり、私は重大な役割を終えることができました。