幼少期は外でひたすら魚や虫を捕まえたり(あだ名は虫博士)、友達とリレーや鬼ごっこ、ゲームをしたり、なかなかわんぱくな生活を送っていました!当時ハマっていたゲームはポケモンと妖怪ウォッチ!あの頃は楽しかった!小学校のころの友達は今でも遊ぶほど仲がいいです!
しかし、ゲームに熱中するあまり、中学校で痛い目にあいます…
ド田舎の中学校に入学しました。中学校では幼稚園のころの友達と再会し、友達づくりには苦労しませんでした。人間関係ではうまくいってたのですが、当時モンストというスマホアプリに没頭し、学業が著しく落ち込みました(笑) なんとひどいときには、数学の成績が5段階中1という結果に(笑)他の教科もあまり芳しくなく、高校に行けるか怪しいとまで言われたことがありました。
しかし、中2の頃に運命的な出会いをします。それは塾の先生との出会いでした。 先生はとてもスパルタな教育をしていらっしゃり、宿題をさぼったりして怠慢だった自分は塾に入るや否や、毎度のように叱られ、夜遅くまで居残りをさせられたりしました。それでも、先生の教え方はとてもわかりやすく、3ヶ月程で結果が出ました。塾に入り、3ヶ月たった二学期の数学のテスト。今でも覚えてます。なんと88点でした。普段から勉強していた人からすると、大したこともない点数かもしれませんが、自分は数学の成績で1をとったり、テストで最低9点を取ったりしていたほどのポンコツでした。そんな自分にとってこの88点という点数は初めて勉強の楽しさを噛みしめるような経験になりました!そこから軌道に乗り始め、テストの点も安定してとれるようになり、割と順風満帆に成績も推移していきました。中3からは同じ先生から英語も習うようになりました。自分は親が少し英語ができるというのもあり、そこそこ得意でした。そんな自分にとって先生のわかりやすい英語は鬼に金棒。何度か学年で1番賢い子に勝つこともありました。また先生の海外経験のお話もとても面白く、(印象に残っているのは、外国人の彼氏の話、ラスベガスで強盗に財布を盗まれた話)楽しく学べるきっかけにもなったし、今自分が国際学に興味を持つようになった刺激的な経験でした。
無事先生の力もあり県内の私立高校に進みました。
高校では、文化祭で実行委員をしたり、演劇の脚本係をして、なかなか充実した生活を送っていました。中でも演劇では最優秀賞にまで選ばれて、嬉しくて仲間と歓喜したことを鮮烈に覚えています。打ち上げもしたり、クラス全員でプリクラを撮りにいったり、イツメンで放課後カラオケや放課後スタバしたり、中国に修学旅行にいったり、いい青春だった…(しみじみ)
学習面では文系に進み、特に英語と世界史を伸ばすことに成功しました。世界史では模試で県3位、英語は高2までにGTECとかTOEICを受けたり、英検二級まで達成しました。(ほんま英語の勉強しかしてないな、こいつ(笑))
また、将来の夢も見つかりました。それは「客室乗務員」です。理由としては、英語と自分の身長が生かせるのと、修学旅行の帰りに天候トラブルが起こって、乗客が騒然としている中、客室乗務員の皆さんは毅然と対応されていて、自分もあんな風にかっこよく仕事をこなしてみたいと思ったからです。
こんな感じで夢も定まって高3になり、進路について考え始めます。学部は先述した通り、英語が得意、客室乗務員になりたい、単純な海外への興味で最初から国際学部一択でした。問題は大学はどこにするか…入試形式はどうするか…で迷い始めます。一時期は寝る間も惜しんで勉強していたのですが、めんどくさくなって結果的に一番楽な指定校推薦で大学に進学することになりました。
指定校推薦勢は馬鹿にされがちと聞いたので大学受験後、猛勉強して高3の最後に英検準一級を取りました(笑)
こんな感じで自分の高校生活は終わりました。
さよなら高校生ブランド…泣
龍谷大学の国際学部国際文化学科に進学しました。
高校の時の踏ん張りのおかげで、上から2番目のクラスに所属しています。頑張ってよかったーーー!
大学では留学して英語ペラペラ、中国語そこそこ、コミュニケーション能力、主体性の向上、人脈づくり、CAになるための体力を身につけていきたいです。
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