梶山雪子
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ヒストリー

出身地

東京都葛飾区

幼少期の暮らし、体験

とにかく外で遊ぶことが好きだった幼少自体。

いつもアザだらけで、学校も大好きでした。

中学・高校時代

都立墨田川高校

毎日自転車で学校に行き、バレーボール部に所属して、いたって普通の平和な高校生活。

当時はコギャル全盛期(年齢バレる!!)、今思うともっと遊んでおいてもよかったのかなと思ったりします。

大学・専門学校時代

横浜市立大学

部活とバイトと授業に明け暮れた4年間。

それまではスポーツは「する派」でしたが、アメリカンフットボール部でマネージャーをしたことで、観戦する楽しみを覚えました。

職歴

<眼科領域の医薬品メーカー営業>

漠然と「人の役に立つ仕事がしたい」=医療業界、という気持ちから医薬品業界を目指し、新卒で眼科領域の製薬会社に入社、点眼薬や手術で使う器具などの営業の仕事をしていました。


<美容医療医薬品のメーカー営業>

業界規則に縛られず、もっと自由度の高い営業活動がしたい、という思いから、自由診療の領域へ転職。「売れればなんでもあり」という環境は、シビアながら創意工夫もできる充実した環境でした。


<半年間の語学留学へ>

大学時代に留学しておけばよかった、海外に暮らしたい、という思いを捨てきれず、30歳目前で退職し、半年間マルタ共和国で語学留学。


<バイオ系の医薬品メーカー営業・語学コーチング(個人事業)>

全国に数百人しかいない疾患の医薬品を扱う職種に。この頃から、医療現場の情報格差を実感し、自分の仕事は、本当に患者さんが納得して最善の医療を受けられる医療のあり方には繋がらない。という課題を感じたため、この課題を解決できるような仕事をしたいと思うようになりました。

と同時に、組織に所属せずに自分の力でビジネスをすることにも興味がわき、個人事業として英語コーチングをしていました。


<現職:医療ITベンチャー>

上記で感じていた医療業界に対しての課題解決につながる仕事をしたい、と思うようになり、医療ベンチャーの現職へ。患者さんと病院間、医師間の情報格差がなくなり、みんながもっと納得して医療を受けられるような社会になるとよいなと思いながら働いています。

同時に、個人事業をしていた経験から、ひとつの働き方に縛られずに、自分のやりたいこと、できることを最大限に生かせる軸を複数持つ働き方を模索していけたらと思っています。