テニスショップの息子として誕生。父はプロテニス協会に所属し、テニスの専門知識やガット張りなどでお客さんにアドバイスをしている姿をみて尊敬していた。母は誰とでも打ち解けることができる性格でお客さんにマッチした商品を提案する営業力はすごいと思っていた。起業して1年後に産まれたため育児が大変であり祖父母の家で暮らすことが多かった。
おとなしく、寂しがりやで両親がそばから離れるとすぐに泣いたが、お客さんの前では泣かなかった。お客さん第一という店の環境を肌で感じていた。
正義感が強く。ガチャガチャで100円で1個のはずが2個出てきた際に罪悪感を感じ、コンビニの店員に1個返しますといったエピソードがある。
一番の楽しみは祖父母の家で同年代の従妹と遊ぶことだった。しかし小学生のとき従妹がⅠ型糖尿病を患うと、遊ぶことができなくなってしまった経験がある。食事のたびにインスリンを打つ姿をみて、なんでこんな痛そうな思いを従妹がしなければならないのかと悲しい思いになったのを覚えている。
小学校から続けているテニスが上手くならず劣等感を感じていた。大会で負けるとプロの息子なのにと言われている気がしてプレッシャーに押しつぶされそうだった。結局、高校1年の際にテニス部をやめることに。
高校に入るも友達と遊ぶばかりで全く勉強しなかった。しかし、初めて彼女ができて、その子が勉強する子だったので負けじと勉強すると学年トップクラスの成績となり学校で表彰されることになる。周りに影響されやすい性格だった。
周りに合わせて失敗することもよくあった。睡眠不足だと頭が働かないのに、周りの子がやっているからと徹夜をして散々なテストの結果が返ってきたことも。
自分から行動することも学んだ。今まで受け身だったが、好きな人ができると告白して、一度振られても再度告白する行動力を身につけた。
家族との距離はとることが多かった。いわゆる反抗期で親と衝突ばかりしていた。
大学の進路も周りに影響を受けたが最終的に自分自身で決めた。従妹の経験から薬に興味を持ち、新しい薬の情報があればすぐに従妹に伝えたいと薬学部を目指した。
色んな新しいことに挑戦した。初心者からドラムを始めてバンド活動をしたり、居酒屋でバイトしたり、麻雀やパチンコをしてみたり、髪を金髪パーマにしてみたりした。
テニス部の主将で大会運営を行った際には、自身のマネジメントで部が崩壊しそうになったこともあったが、周りの仲間が助けてくれて大会運営を無事に行うことができた。
学業が疎かになり、何度も留年の危機があったが、絶対に留年するわけにはいかなかったので諦めずに勉強して1度も留年しなかった。薬剤師国家試験も仲間とともに勉強することでどん底の成績からストレートで合格することができた。
このころから周囲合わせてばかりではなく自分らしい行動が選択できるようになってきた。
なので従妹の経験からより良い薬を世の中に広めたいという想いに従い、製薬会社の営業職を希望して就職活動を積極的に行った。就職活動では自分を見失い、内定は1社のみだったが希望の職業に就けることになった。
多くの仲間と出会うことができた。
2015年4月 興和株式会社 入社 医療用医薬品営業部 配属
製薬会社の営業 『患者貢献No.1』の営業になると主張するが、上司に「営業は数字だ!おまえが言っているのは机上の空論だ!」と罵られ、絶対に自分のやり方で成果を上げてみせると誓う。
新規営業部門の立ち上げメンバーに選出。まさに新薬を世に広める活動で、悩んでいる患者にこの薬を届けるという想いで医師とディスカッションしていた。提案型営業をすることができ、立ち上げ2年で新薬の売上増額全国1位を達成。
職場での評価が上がり、マネジメント業務を任されるようになる。しかし営業の規制が厳しくなり自由な活動ができないと感じる。
2020年1月 病院 入社 薬剤部 配属
得意先の薬剤部の先生よりオファーがあり、病院薬剤師に転職する。職場内の人間関係の亀裂、保守的な体制があり新しい取り組みのためには組織改革を行う必要があった。挑戦するが自身では変えることができないと挫折する。
2021年1月 調剤薬局 入社
薬局薬剤師に転職し、営業スキルを薬局でどう生かすかを実践している。薬局では薬剤師業務だけでなく広報の仕事を始めたばかり。市販医薬品・在宅医療の推進チームにも入っている。