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ビジョン

苦しめられる人をなくすために

私は、将来パキスタンやソマリアなどの紛争地で主に子供達向けて、銃の危険性と命の大切さを伝えて平和の一助になりたい。

このようなビジョンを持ったきっかけは、「銃」だ。私は、幼い頃に、「ブラック・ホーク・ダウン」という映画を見たことがきっかけで劇中の戦闘シーンに心ひかれ銃という物に強く関心を抱くようになった。もともと私は、好きなことにはなんでも没頭する性格だった。そのため、銃に関する情報は調べられる限り全て調べた。例えば、銃関連の本や海外の銃の動画などで幼いながらも徹底的に情報を集めた。自分の行ける範囲内で開催される自衛隊のイベントには必ず参加した。中学生の頃には、銃の名前を常に170丁覚えるまで知識を蓄えた。この頃、私の銃の話が通じるのはたまに行く自衛隊イベント隊員の人だけだった。私のこの頃の気持ちは、銃はただひたすらにかっこいいという印象だった。しかしその銃に対する印象は、2013年を境に大きく変わった。2013年に私は、グアムに本物の銃を撃ちに行った。撃つ瞬間までは、とても楽しみでたまらなかった。しかし実際に引き金を引き、銃を撃つと激しい銃声と火薬の匂いで、私はかっこいいというよりも凄まじいほどの恐怖が心の中に湧き上がってきた。今まで自分が好きでかっこいいと思っていた「銃」が怖いと初めて感じた瞬間だった。自分の好きだった物が人を殺すものというものということを強く心に植え付けられた。私は、この経験を通して銃というものは人を殺すことのできる道具であって決して軽視していけはいけないものだ、ということを強く実感した。

恐怖という共通点で、私が体験したことがある。これがもう一つのこのビジョンを持つきっかけとなった大きな経験がある。

それは中国で経験した、反日デモである。これが私の志の2つ目の理由である。

私は、父親の仕事の都合で7年間中国の北京に住んでいた。私の住んでいた2012年は尖閣諸島の領土を巡る問題で中国では、連日激しい反日デモが行われていた。

当時私は、日本大使館の目の前に住んでいていつ暴徒が家に突入してきてもおかしくない状況だった。連日各地で、日本人に対する暴行事件が報告され自分もいつ襲われるかわからなかった。また日本人差別も多く受けた。例えば、タクシーでは、「日本人は汚いから乗るな」と言われたりした。学校のバスには卵が投げつけられたりもした。このように死と隣り合わせの状態で暮らしていた経験は今でも忘れることなく、鮮明に覚えている。命の大切さというものを幼いながらも考えた。

この2つの命を奪う「銃」というものに対する恐怖と命を奪われかけた恐怖という経験を利用して将来活躍したいと考えた。

問題分析をした時に最初に私が感じたのは、日本では銃規制が厳しいため身近に感じることができない。そのため日本では、銃によって苦しめられている人を身近に感じることができない。しかしパキスタンやソマリアなどのテロが頻発している地域では、銃によって脅され強制結婚や強制的にテロリストに加入させられてしまう人が多くいる。私は、現地の人々に銃の危険性と命の大切さを伝えたい。これにより若者たちが過激化するのを防ぎたい。現在世界で銃の危険性の教育を紛争地で行っている機関はなく前例のないことだ。だからこそ自分が前例を作る人になりたい。私はこの「銃教育」銃の危険性と命の大切さを自身の経験を踏まえて教育したい。方法としては、7日間を通してのワークショプ形式で行いたいと考えている。教育内容としては、スイスの銃教育を参考にして教育を行いたい。スイスでは、国民の銃所有率が世界で7位なのに対して乱射事件は20年間おきていない。またスイスでは、子供を対象に銃の扱い方がを覚えることが義務付けられている。それでも銃による事件が起きないのは、銃に対するイメージの違いだった。スイスでは、銃は祖国を守るために持つものであって人を脅すものではないというイメージが国民に教えこまれている。私は、それを基盤としてパキスタン・ソマリアで銃教育を行っていきたい。私は、人々への平和や紛争などの重要さをどのように伝えるべきかと考え自身で学生団体を設立した。3月に設立し、今では12人で活動し週に2回短時間のイベントと長時間のイベントを行っている。私は、この活動を通して人へ自分の考えていることの伝え方や自分と同じ志を持っている人をまとめるリーダーシップを学ぶことができている。

将来的にはパキスタンを中心として世界中の紛争地で活躍したい。私がパキスタンで活動を行いたい理由は、パキスタンは国民の銃所有率が世界3位なのにテロが頻発している地域だからだ。

この活動を通して最終的には、全世界の人々が銃によって苦しむことなく幸せに暮らせる世界を作りたい。

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