青木優芽
フォロー コンタクト

ヒストリー

出身地

三重県津市

幼少期の暮らし、体験

1998年9月20日生まれ。

田んぼの広がるのどかなエリアで育つ。おもちゃやゲームよりも、虫取りやザリガニ取り、お絵かきが楽しい遊びだった。

【幼稚園】
スポーツはこの頃からあまり好きではなかったようで、室内で絵をよく描いていた。
グループでいるよりもひとりでいることが好きな子どもだった。
年中からクラシックバレエを習い始める。

【小学校】
自由帳に延々と絵を描いていた。人物のイラストが好きで、絵が好きな子同士で見せあっていた。褒められるのが嬉しかった。

絵のほかにも、架空のお話の設定やキャラクターを考えるのが好きだった。

2年生から英会話、4年生からよさこいを習い始める。

中学・高校時代

三重県立津高等学校 2017年卒業
【中学校】
英語を除いた習い事を辞め、吹奏楽部に入る。
楽譜がまったく読めなかったが、「バレエのように人前でパフォーマンスしたい」という理由で入部を決意。クラリネットパートに配属される。
当時は地域では強豪クラスの部活となっていたため、そのレベルに追いつこうと鍵が開く前から学校に来て朝練をしていた。
また、3年生時はパートリーダーと副部長を兼任。メンバーがモチベーションを保っていくにはどうしたらいいか考え、同級生と議論を重ねた。ホールを貸し切った丸一日練習も定期的に開催され、演奏のクオリティを上げるために日々精進していた。
3年生のコンクールでは、東海大会で金賞を受賞した。

この頃、読書が好きで、暇を見つけては読んでいた。
違う世界に没入するようで楽しかった。また、挿絵がない部分を想像で補うことに
ワクワクとしていた。この頃から、考えることが好きだったのだろうと思う。

部活に打ち込んでいたが、勉強と部活の両立をはかるために、テスト勉強や受験勉強はコツコツと計画に沿って取り組むタイプだった。


【高校生】
進学校だったことと、部活(ダンス部)の練習が過酷だったため、勉強と部活の両立にかなり苦労する。

ペンタブレット購入を機に、デジタルでイラストを描き始める。Twitterにファンアートを投稿し、いいねやコメントをもらうと嬉しかった。
また、ショートストーリーを投稿することにハマる。
イラストも文章も、「自分で考えた内容を形にする」点に面白さを感じ、
「人からのリアクションを見たり、リクエストに沿ったものを一生懸命考えて作る」ことに
喜びを見出していたのだと思う。

勉強は、英語が最も得意だった。英語の授業でのスピーチが好きだった。
英語を大学進学や就職で活かそうという考えはあったが、将来のビジョンは漠然としていた。

大学・専門学校時代

皇學館大学 2021年卒業
英語系のコースに入る。英語の勉強自体は好きだったが、明確に就きたい職業や企業は思い浮かばなかった。

「まちづくりに携わりたい」という漠然とした思いで、地域系サークルに参加する。
具体的には、マイヤーレモンを使った商品企画、空き家調査、中心市街地活性化会議への参加など。
さまざまな体験の中で、まちづくりに関わる職業の多様さを知り、「結局自分はどう関われば良いのだろう」と悩む。当時進学の選択肢はなかったので、魅力を感じたものづくり系の職業は除外して就活準備を進める。しかし、本当に就きたい職業を諦めてこのまま進むことに疑問を持ち始め、「関わるなら好きな領域で」と思うようになる。しばらく考える期間を経てデザイン系の学校へ進学をすることを決意した。

趣味は、宝塚観劇。中学校の頃から宝塚ファンだったが、アルバイトを始めてよりのめり込むようになった。観劇観を変えた作品は、2018年宙組の『WEST SIDE STORY』。それまでは「夢を見られるところが舞台の良さ」と思っていたが、「究極のリアルを突きつけられることで、作品の世界観に没入し、見終わった後に余韻が残る作品を見たい」と思うようになった。

卒業論文は9月頃に方向性をやや変える必要があったため、
すでに7割程度書いていたが3ヶ月で全文書き直した。
4月から作っていたものを一からやり直すのは大変なことだったが、
納得のいく論文を書きたいという思いがあった。

教授との意見交換を何度も重ねてブラッシュアップした。
その結果、優秀論文に選ばれた。