伊東美優
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ヒストリー

出身地

埼玉県

幼少期の暮らし、体験

両親に縛られたり強制されることなく、割と自由奔放に生活していた。
あまり食わず嫌いせず、やりたいと思ったらどんなことでも一度チャレンジしてみた。そのため、今振り返るとこれといった特技はないが、苦手なものもなく、どんなことでも少し練習すればできるようなタイプだった。
習い事も一番長く続けたクラシックバレエの他に、習字やダンスなどをやっていて、新しい環境にいきなり飛び込むことが多かった。
その結果、幼少期は極度の人見知りだったが、小学校高学年くらいから男女関係なくどんな人とも話せるような人柄になったな、と個人的には感じている。そして周りと比べて行動力もあるなと感じるのは、このおかげだと思っている。


中学・高校時代

中学・高校はテニス部に所属していた。特に幼少期からスポーツに馴染みがあり、体を動かすことが大好きだったため、体育や体育会系の行事ごと(体育祭・球技大会等)は思いっきり打ち込んでいた。
中学以降もクラス替えは何の恐れもなく、分け隔てなく色々な人と仲良くできた。ただ、クラスや部内で人間関係の問題がしばしば起こった。私は一部ではなく全体と広く交流することが多く、基本中立な立場をとっていた。ただ、当時はみんなで解決する手立てが分からず、加えて人間関係問題を面倒に感じてしまうことが多かった。やがて高校生になると、一人の時間も好むようになっていき、「1人映画」「1人回転寿司」などに楽しみをだんだん見出していた。

大学・専門学校時代

慶應義塾大学総合政策学部へ入学。

私が大学入学以前までに考えたことは、大きく分けて以下のとおり。
・ 人間関係の問題は小さな子供から大人まで、誰しもが悩んでしまうもの。私のように上手く通り抜けて対処できた人もいれば、中には学校や会社など組織の中にいられなくなってしまう人もいる。しかし、個性がたくさんあるように、教育の受け方や仕事の仕方など、その人に合う多様な選択があって当然だと考える。
・メディアが多種多様化し、私たちは時に情報の渦の中にのまれている。ここで大切なのは、個人の情報リテラシーももちろん、それ以外に社会問題に気づかせ、解決するにはどうすれば良いか、市民一人ひとりが考えるきっかけづくりであると私は考える。

→ 誰もが個性を武器に多様に生きるには、一人一人の意識の変化や常識をなくすことが必要。私は在学中に自身の知見をもっと広めながら、上記二つを少しでも率先して解決できるようになりたい。