幼稚園・小学校と転校が多く、コロコロ変わる環境の中で引っ込み思案な人見知りへと成長しました。色々な人と関わった中で集団の怖さも知りました。幼いながら、周りの空気を読んで合わせることは得意だったように思います。外で抑えていた分を家で発散する内弁慶な性格で、親にはたくさん迷惑をかけました…。
そんな中で小学3年生の時に出会えたバスケットボールは私の中で人生を変える出会いだと思っています。自分から何をやりたいと言い出さない私が唯一「やりたい」と言ったのがバスケでした。JXsunflowersの渡嘉敷来夢選手に憧れて始めたバスケットボール。来夢ちゃんは今でも私のヒーローです。
小さい頃から何かを作るのが大好きな子供で、曾祖母から折り紙を教えてもらったり、切り絵を教えてもらったりしていました。手紙を書くのも大好きで、お母さんに毎日のように手紙を書いていたそうです。初めて字を覚えた時は嬉しくて、「ま」だけを書いた手紙をお母さんに送りました(笑)
小学校3年生から高校3年生の約9年間のバスケ人生で、何かを必死に頑張ることの大切さや、忍耐力、継続力…たくさんのことを学び、得ることができました。その中でも高校の3年間は私にとって宝物の3年間です。クラス、部活、委員会、応援団…人と関わることの楽しさや面白さを知ることができました。
年齢を重ねるにつれ、自分は人より「全体的に少しできる人」なのだと知りました。自慢じゃないです(笑)何かに突出しているわけではないですが、何かを習得することが人より少し早かったり、人が気づかないことに気づいて1歩早く動けたりしました。しかし、何かに秀でてる人には敵わない厳しさも知りました。人より少しできるけど、その部分が秀でてるひとには敵わないんです。要するに、人より少しできる凡人、なんです(笑)だからこそ天才には敵わなくて、すっごく悔しかったです。特別な人になりたいのに、結局凡人なんです。でも、そうやって「特別になりたい」って頑張ったことが今の自分の力になっていると思います。
将来について考え出したのは高校からでした。それまでは美容師だったりメイクアップアーティストだったり、現実味のないものばかり追い求めてました…。ですが、数々思い浮かべていたものに共通するのは「その人にしかできないこと」という点です。何か自分にしかできないこと、特別感のあることをしたいと思っていました。それは今も変わらないです。
AO入試で大学に合格して、自分には何か特別なところがあるんじゃないかーとか、そんなアホなことを思いながら始まった大学1回生でした。神奈川から京都に出てきて、周りの環境が ガラッと変わって、色々な先輩方に出会って、自分って何ともないやつなんだなって思いました。正直、自分に落胆した1年だった気もします。しかし、だからこそ「人に届ける」ことの出来るmocoを選んだのだと思います。特別なことが出来なくても、少しでも人の心に何かを残すことができたらって、今はそんな風に考えています。自分の作ったものが他の人に影響を与えて、その人にとっての「特別なもの」になったら素敵だなって思います!
高校の3年間、Starbucksにはたくさんお世話になりました。テスト期間、部活の前、朝勉強のお供に…あの空間が好きで、高校を卒業したら絶対働きたいと思って応募し、ご縁があって受かることができました。しかし、今思うと、Starbucksを選んだのも「特別感」からかもしれないです(笑)「スタバで働いてる」って言えるの、なんかかっこよくないですか?