もと
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ヒストリー

出身地

富山県

幼少期の暮らし、体験

小学生のときは自転車に乗ってみんなで町から少し離れた公園によく遊びに行く活発でしょわしない(富山弁で「落ち着きのない」の意味)子でした。よく、「しょわしない」と言われていたのを覚えています。

小4のとき、ご飯をお代わりすることの素晴らしさに気づき、小5-6のころはかなりふくよかな男の子でした。明日のことは考えずに生きてました。

中学・高校時代

中学校で剣道を始めます。

中学校で、少し興味があった剣道部に入部したことを機に剣道を始めました。しかし、僕が通っていた中学校の剣道部はたまたま、県内でもなかなかの強豪校だったみたいで、先輩、同級生や後から入ってくる後輩は男女共に、個人戦や団体戦で全国大会出場経験のある剣道の強い人たちばかりでした。特に、直近の2個上の男の先輩たちは歴代の中でも本当に強くて、男子団体戦で県大会を優勝し全中出場を決めた上で、北信越大会で準優勝するほどでした。部活の練習は、入部当初は初心者ゆえに少し加減をしてもらえたものの、それでも彼らの中に混じって練習するのは本当に大変でした。彼らについていくためにも、中学1年生の夏休みから、みんなの通う剣道道場に通うようになり、気がつけば、中学校3年間は剣道漬けの毎日でした。部活と道場にどっちも行く、かなり忙しい日々でしたが、中学校で剣道を始めたことで、校内外の交友関係が広がったり、何かに集中して取り組むことの大切さを学ぶことができたので、自由奔放だった小学生のときよりは精神的・体力的に成長できていたと思います。

高校は、中学校時代から憧れていた、同じ中学校の1番剣道が強かった2個上の男の先輩を追いかけて、その先輩の行った高校を目指し、なんとかギリギリで合格し、また剣道部に入部しました。高校の剣道部は、毎回、県大会の団体戦ベスト4以上をキープするほど、部員のレベルが高いところでした。自分が団体戦のメンバーに入ることは決してできませんでしたが、負けじと剣道に取り組む、また、剣道漬けの日々を送るようになりました。一方で、勉強はそっちのけで、再試に引っかかったりなどして部活に行けない日が多々あり、高校では中学ほど剣道のために努力できなかったことは少し後悔しています。結局、高校で勉強と部活を両立できず、中途半端に終わり、結果、大学浪人しました(笑)。

大学・専門学校時代

同志社大学

現在同志社大学法学部法律学科3年生です。

課外活動では今までやってきた剣道は続けず、能楽部観世会というところに所属し、日本伝統の能楽をやってます。入学当初はまた剣道を続けようかなと思っていたんですが、新歓期間1日目にキャンパスのベンチに1人で座っているところ先輩に勧誘されて、言われるがままにホイホイと新歓について行き、部活を見学して、気がついたら入部していました。流れるままに入部したところはあるんですが、この能楽部観世会を通して、今まで会ったことないタイプの人に会えたり、能楽っていう今しかできないようなことを体験できたりして、多元的に様々なことを学ぶことができています。能楽部観世会に入部することができて本当に良かったと思っています。

また、選択肢が複数ある場合においては、その場の流れに任せた選択をすることが、実は自分の視野を広げることを手助けしてくれることがあるんだと学ぶことができました。

学業は、授業に行っている割に単位が取れてないのが悩みです。また、2年生の秋学期から刑事政策や刑法総論など刑法ついて扱うゼミに所属しています。