両親が共働きだったので、1歳の頃から保育園に預けられていました。何事にも好奇心旺盛で、運動も好きだったので、2年間くらい体操を習っていて、当時はかなり身体が柔らかかった記憶があります笑。保育園の頃は母が振り付け師をやっていて、母と一緒に千葉まで行って、仕事に付き添っていました。そんな母の姿を見て、自分もダンスをおどってみたい!と思うようになり、5歳の頃からクラシックダンスを始めました。またこの頃にミュージカルに出演したこともあり、舞台に上がることが大好きで、恐れ知らずで、活発でした。
思い返せば、、ミュージカルの稽古中に高台に乗っていた方が落下して、その下敷きになって大怪我したり、ご飯が食べられなくなって点滴で栄養とったりしたのもこの頃で、病院にはお世話になることが多かったです。医療従事者を目指す、ということに憧れだしたのもその影響だと思います。
小学校の頃は、勉強することが好きで、家に帰ったらまず宿題!みたいな生活を送っていました。クラスの友達には、ガリ勉だと思われていたみたいで(笑)あんまり馴染めていなかったような気がします。
小学校二年生の時、母が授業参観に来て、クラスの男の子に、「お前の母ちゃんなんか変だな」と言われたことがあって、、以前から、私の母は精神疾患を抱えていたのですが、周りからはこんな風に思われているんだなと感じて、すごく悲しくて恥ずかしくて、とても落ち込みました。
中学の頃はとにかくまじめな性格でした。部活は友達に誘われてソフトボール部に入部。野球もみたことなかったのによく挑戦したなあって思います笑。
一年生のときの部活のミーティングで、みんなでルールの確認をしました。そこで「内野ゴロって何ですか?」って質問したら、みんなから非難されて、そんなことも知らないの?みたいなことを言われました。勉強してこなかった私が悪いんだけど、そんな風に言われると思わなかったから、とても悔しくて誰よりも練習を頑張りました。そのおかげで何回かピッチャーとして試合にも出させてもらえるようになりました。
今思い返すと、みんなの前で発言するのが怖い、と思うようになったのはその時がきっかけなのかなと思います。なにかいう時はメモをかいてからじゃないと喋られなくなりました。いまだにその癖は抜けません、、(苦笑)
そんなときに、祖母が亡くなり、それがきっかけで母の精神状態が不安定になり、病気は日に日に悪化していきました。
薬を一気に飲み干して昏睡状態になったり、呂律が回らなくなったり、マンションの屋上から飛び降りようとしたり、リストカットしていたり、、泣きながら一人で警察を呼んだり、救急車を呼んで一緒に乗ったことも何回かありました。
普通のお母さんが羨ましいって何度も思いました、、。
でも症状が落ち着いているときは、優しくて、なんでも話を聞いてくれて、誰よりも強さを持っていてる母に沢山助けられてきました。
今の高校に入ろうと思ったきっかけになったのは、母のことがあったからだと思います。
そして今、高校で看護、福祉を学んでいます。
母と私を救ってくれた、医療従事者の方々に少しでも恩返しをしたいので、しるべと平行して頑張っています。
また最近、児童福祉にも興味があります。私みたいに家族のことで誰にも話せずに抱え込んでいるこどもを救いたいと思っているからです。
病院で働くか施設で働くのかは、今はまだ想像もつきませんが、命を救うということに変わりはないと思うし、それが原点であり私の軸にもなっていくんだろうなと思っています。
読んで頂きありがとうございました😊!