リングアナ Naoki
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ヒストリー

出身地

大阪府大阪市

幼少期の暮らし、体験

1985年7月7日大阪市にて誕生

落ち着きのないおちょけな幼少時代でした。

小学生時代はイタズラずきでよく怒られては母親が先生に謝るシーンが度々…お母さんごめんなさい…

中学・高校時代

遊びにヤンチャにバイトにと毎日忙しくしてました。いや、ホント親に迷惑ばっかかけてました…お母さんごめんなさい…

大学・専門学校時代

親に迷惑かけすぎた自分自身を変える為に大学に通いながら会社に通い、夜は北新地のBarで店長とただただ寝る間を惜しんでました。リングアナを始めたのもこの頃です。

職歴

細かい歴は省きますが

・16歳 キッチンバーでバイトを始め、そこで接客のイロハを学びました。約2年間くらいかな?

・18歳 大学に行きながら会社勤めをしておりました、主にイベント関連の営業など、北新地で勤めていたのもこの頃あたりかと

・19歳 勤めている会社の社長の気紛れで「声低いし次のプロレスの大会でリングアナやってみろ」と無茶振り…リングアナデビュー

・19歳 リングアナデビューと同じ頃知り合いから物件を期間限定で借りて自分でBarを経営、色々試せて勉強になったぜ!約1年間!

・19歳 リングアナデビューから数ヶ月後に馳浩先生が文部科学副大臣に就任されて、その就任記念パーティーで元プロレスラーであられる馳先生をリングコール

・19歳 馳先生のパーティーにてK-1創始者の石井館長と出会い、初対面で突然

館長「おい、お前の権利ってどこにあるんだ?」

私「いやいや、権利も何も、こないだデビューしたばっかでシャレでやってるようなものですよ、これから続ける気も別にありませんし笑」

館長「うちでやらないか!?」

私「!?」

・19歳 リングアナデビューから約4ヶ月後K-1MAX横浜アリーナ大会のリングに私は立っていました。

・20歳 デビューした年の大晦日、京セラドームで開催されたK-1ダイナマイトでリングアナを、もうね、やめるにやめれん状況になったわけです笑(それから現在に至ります、詳しくはWikipediaでもご参照ください!https://ja.m.wikipedia.org/wiki/Naoki_(リングアナ)

・20歳 期間限定の契約だったので契約満了で店を閉店、新地で勤めていた時のオーナーから連絡をもらい店長として戻る。

会社、リングアナ、Barの店長、大学と並行していましたが自分の将来がある程度決まり、ビジョンが見えてきたのもあり「大学って所はどんなものか」も経験できたのでとりあえず大学を辞めることにしました。

・22歳 店長をしていたBarのオーナーからは特に得るものも無くなったのと再び自身で店をやる事を考えだし、準備も兼ねて新地の店を辞める。

・23歳 大阪、京橋にSoundBarZEROをオープン(現在に至る)

・24歳 ZEROの経営に専念したいこともあり会社の社長に相談し、退社

・32歳 ZEROと同じビルに居酒屋隠れ処ちんねんをオープン

・32歳 株式会社MoveOnProjectを立ち上げ代表取締役に就任

現在に至る!!(だいたいあってるはず!!)

リングアナの経歴についてはおおよそWikipediaに載ってると思いますのでそちらをどうぞ。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/Naoki_(リングアナ)