ロキソニン
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ヒストリー

出身地

アメリカ合衆国ニューハンプシャー州

幼少期の暮らし、体験

アメリカ合衆国ニューハンプシャー州で生まれる。その後、日本に引っ越しをする。

憧れのアメリカライフは1年と3ヶ月で終わったのであった。

幼稚園はキリスト教の幼稚園に通うことになる。幼稚園の運動場では幸運なことにサッカーゴールがあり、毎日、サッカーをしていた。朝、通園中に運動場の横の道から、誰かがお気に入りの三輪車に乗っている姿を見ると嫉妬をしていた。

ベイブレードを数多く持ち幼稚園の大将になる。

小学校ではサッカー部、陸上部、野球部に入り、全てレギュラーとなる。四年生の時に、塾に通い成績が良くなる。文武両道の道を進み始める。

中学・高校時代

中学ではサッカー部キャプテンを務める。文武両道で校内で有名であった。一方で、ヤンチャで、教師の考える『良い子』ではないため、成績は振るわない。ただし、英語では右に出るものはいなかった。

1年の頃から練習に来ないチームメイトを鼓舞し、レギュラーまでもっていく。キャプテンとして、チーム内のいじめを無くし、チームメイトをチームに戻すように指示される。ことがうまくいき、改善される。人生、常識について考えるようになる。そして卒業文集の題名は『set hard heart against hard hap』。


高校では、文武両道がうまくいかず、精神的に鬱状態になる。この学校もキリスト教主義の学校であった。毎週、神に祈りを捧げた。

高校生活は人生最大の危機であった。小学校、中学校、高校が同じになった、共にサッカーを続けてきた大親友に

『お前、オーラがなくなったな』と言われたことを今でも覚えている。

高校3年生、見事に受験は全て失敗した。浪人をすることになる。

浪人時代に、人生について深く考えるようになる。高校時代の鬱状態を変えるため、悲壮な決意をする。

無心で勉強し、模試では常に1位をキープ。最高偏差値は80.2であった。ここで、自分自身の学習方法を確立する。特待生として合格した大学を切り、かねてより好きだった慶應文学部に入学する。

大学・専門学校時代

大学生になり、自由になった。

高校時代から封印していたサッカーを再開する。しかし、体が動かない。大学レベルのサッカーの構造がわからない。今でも、わからない。 しかし、諦めないで少しずつ、全盛期を思い出しつつ、サッカーを楽しみたい。

学問に関して、自分が何をしたいか考えた結果、心理学を専攻することにした。

心理学の中でも、かねてより興味のあった言語学を合わせた研究をし始める。大学3年生までに論文を2本執筆する。

3年生が終わり、4年生になるとき、アメリカ合衆国へ留学する。生まれ故郷に帰ってきた。何か懐かしい感じがする。

アメリカでの私は

井の中の蛙大海を知らずであった。

日本に帰国し、就活をし始める。

職歴

4つほどのバイトを経験するが、自分のことをバイトを通じて理解し始める。

塾講師、派遣、接客レジ打ち、飲食店。

ジャンルの違う世界を経験し、働き方の違いを学ぶ。