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ヒストリー

出身地

青森県

幼少期の暮らし、体験

虫捕りにはまった3年間(幼稚園)
青森県弘前市に生まれた自分は、毎日友達や弟と虫捕りに明け暮れていた。
一番今でも忘れないことがある。西目屋村へ行ってのカブトムシ狩りだ。
結局捕れずじまいだったが、その頃から昆虫への情熱と動物への愛情は止まない。
振り返れば、幼少期にはカマキリ・ザリガニを、浪人時代には蚕を卵から育て上げた。
生き物の生と死を間近に感じた自分は、幼稚園生ながらに命の大切さと尊さを知った。

悔しくて泣いてばっかり(小学校)
小学3年生から始めたバドミントンと書道では、しょっちゅう泣いていた。
理由はさまざま。ただ、怒られて泣くよりも悔し泣きが圧倒的に多かった。
例えば、明らかに相手の方が強いからしょうがないのに試合に負けて悔しいから泣く。
とはいえ、そんな気持ちがあったからこそ練習に励むことが出来た。
基礎体力と精神力を身につけた自分は、文武両道でその後の人生を歩んでいく。

中学・高校時代

あり、あり、波乱あり(中学時代)
部活では東北大会に出場し、の頂上へ、初めての模試で、の底へ、最後に波乱ありのそんな3年間だった。
中学2年の冬、県選抜のメンバーとしてシングルスで東北大会に出場。
結果は、ベスト32。宮城県5位に勝利し、大きく自信をつけた年になった。
しかし、順風満帆な生活も中2の冬まで。
最悪な模試の結果と両親の離婚をきっかけに、地獄の受験期を迎える。
つらい受験期は、友達との会話を増やすようにし、個人塾では、積極的に先生に質問することで気を紛らわせていた。
受験校の体育館が、当時自分もよく読んでいた漫画「スラムダンク」のモデル校だと母から告げられてから、やる気が起きた記憶がある。
あきらめたら試合終了。
その言葉を胸に、都立高校1本受験の壁を乗り越えることができた。

経験から得たこと(高校時代)
部活動で男子主将を務めることで多くを学び、経験を積むことができた。
それまでリーダーとして活動したことがなかった自分は、自ら立候補したところ、チームメイトから35期男子キャプテンに任命された。
昔から周囲の人達に頼りがちだった自分は、指示出しをすることには慣れず、最初は声出しでチームを活気付けるなどして、練習に励んでいた。
リバースカットや速いスマッシュを打つ方法は、他人に教えることで、みんなで強くなるという意識を持つようになっていった。
高校生活で得たことは、座学では学べないことだったと思う。
他人から信頼を得るには?といった、コーチからの言葉の意味を今一度、考えてみたい。

大学・専門学校時代

  1. 国際交流を通して(大学時代)
    大学生活3年間は、国際交流のオンパレード。
    平日は、学内のグローバルラウンジコトパティオにて。最近は、Meetupというアプリで、気軽に英会話を学べる場所を見つけて勉強中。
    それもあってか、入学前と比べて、TOEICの点数は250点上がった。
    日韓大学生討論会・日韓青年交流に参加し、大学生訪韓団の代表としても韓国へ行く予定だった。
    そして、何と言っても、日中韓子ども童話交流参加経験者事務局での活動は、自分にとって大きな財産となっている。企画・運営その他手続き等は、自分の経験値を上げた。
    日韓情勢に左右され、昨年は大学生討論会中止。
    新型コロナの影響で、今年もさまざまなイベントの開催が危うい。
    こんな時だからこそ、日韓の歴史に関する文献を読み、先人の言葉に耳を傾けたい。