のん
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ヒストリー

出身地

北海道 稚内市

幼少期の暮らし、体験

なぜ自分が生きているのか、本当に生きているのかがずっとわからず、かろうじて自分の母親はこの人なんだと認識していたぐらい、よくわからずに過ごしていました。

そう思っていた以外は普通にお外を走ったり、おままごとをしたり、普通に遊ぶ子どもでした。

この後もですが、基本的に学校でも家でも元気に活動していました。私に影響を与えた出来事だけピックアップしていきます。

中学・高校時代

中学時代の親の離婚が私の中でとても大きな出来事の一つです。母と父のケンカが増えたことには気づいていましたが、ほとんど起こっていたのは私の見えないところでした。姉が母と父の間に入り、二人の伝言役のようになっていたことも知らず、ただただのん気に過ごしていました。姉の力になれなかったことを悔しく思います。ある曲に「私の命は二人の愛の証。〜二人の愛がないなら私の命は嘘に変わる」というものがあるのですが、本気でそう思ったこともありました。


それまでもずっとそうでしたが、私はずっと姉の後をついていくばかりで、高校も姉が入った高校に入り、旭川という稚内から離れた高校に通うため、下宿をしていました。3年生の時に中学生の時以来会っていない父からある手紙が届き、それも私の心を乱しました。受験期まっさかりで心を乱し、学校に行っても頑張れず、周りの友達は意識の低い私を無視する人もいました。「頑張っていない私には価値はない」と思わされる出来事でした。

担任の先生にだけ連絡をして母のいる実家に逃げ込もうとバスに乗りましたが、母がこの自分を受け入れてくれるのか怖くて母には連絡できませんでした。

母がバス停まで迎えに来てくれて「頑張らなくていいんだよ」と言ってくれて、その言葉に救われました。

大学・専門学校時代

姉についていくばかりだったのが変わったのは青森県の大学に進学したことがきっかけです。今まで姉が作ってくれていた人間関係をゼロから自分で作ることになって「頑張らなくちゃ!」と気合いが入っていました。大学生協の新入生サポートセンターというところで出会った方々に影響を受け、とても充実した大学生活を送ることができています。

私がどうして生きているのか、それが解決したのは大学2年生の時です。それまでも何度も死んでしまおうと思っていましたが、死ぬのが怖かったのと母や姉が悲しんでくれることがわかっていたから生きていました。解決してくれたのは、ある大学に講演にきてくださっていた産婦人科医の先生です。

「生まれてきてくれてありがとう。生きていてくれてありがとう。」

たくさんの生まれてくる命、亡くなってしまう命を見た人がいう言葉は重みが違い、ただひたすら泣き、ひたすらお礼を言いました。よくわからず生きているだけだったのに感謝されるのかと、生きるってそんなに価値のあることなのかと、真剣に思いました。

じゃあその命周りの人のために使おう!と思ったので私のビジョンに繋がります。