のりか
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ヒストリー

出身地

福岡県

幼少期の暮らし、体験

父の転勤先の福岡で生まれました。

福岡で過ごしたのは2歳半まで。

次の転勤先は長野県。北アルプスの山々に囲まれ冬は大雪が積もる自然豊かな町です。幼稚園では友達とワイワイ遊ぶより、先生のそばからずっと離れない内気な性格の子でした。そして5歳の時に鹿児島県へ。

小学校卒業まで過ごした鹿児島。家のベランダからは桜島が見え、時には噴火する姿を見て自然の凄さを感じました。鹿児島での生活は楽しかった思い出しかありませんでした。地元の友達は自分にとって、今もかけがえのない存在です。

中学・高校時代

鹿児島県での小学校時代を経て、またもや父の転勤で横浜に引っ越します。

中学校では

横浜駅から徒歩10分ほどにある都会の中学校に通います。

田舎きた私は何もかもが新鮮でとりあえず都会の女子中学生のスカート短さに驚きます。

キラキラした雰囲気に憧れつつ、私はいたって平凡な3年間を過ごします。

スポーツはできないため、興味本位で和太鼓部に所属しました。

和太鼓部では近所のお祭りや文化祭、老人ホームなどで演奏し地域の方々とたくさん触れ合いました。

高校では

通った高校はクラス替えがなく3年間同じクラスでした。そのため、家族より長い時間を過ごしたクラスメイトとは何でも受け入れられるような関係となりました。

高校一年の頃から自分の将来像について考えるようになり…小さい子どもが大好きな私は将来は子どもに携わる仕事がしたいと考えようになりました。

挫折や幾度となる困難を乗り越え、無事高校を卒業します。

大学・専門学校時代

大学では

大学は看護学科に通っています。

大学一年生の頃、世界で活躍する医療従事者の方にお話を聞き、発展途上国の医療が十分でないことを知りました。

またその頃に白井優子著の『紛争地の看護師』を読み、世界には銃弾の声が飛び交い、死と隣り合わせに生きる子どもたちがいることを知りました。

Michiiii が支援する小中学校の創設者であり、現在医師と活躍されている葉田甲太さんのお話を伺う中で看護師という職を活かして世界の子どもたちにできることがあるのではないかと考えるようになりました。

大学卒業後は看護師として経験を積みいずれは、世界の発展途上国や紛争地にいる子どもたちに対して看護師として携われたらと考えています。