ぬかくぎ
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ヒストリー

出身地

福岡県

幼少期の暮らし、体験

2001年ー2013年 (0〜12歳)
光の子幼稚園/木佐木小学校
​母方の実家で父母・祖父母と共に5人で暮らしていました。両親が共働きの1人っ子だったので、祖父母に面倒を見られ、さらには寂しい思いをしないようにと、ゲーム機を買い与えられ、ずっと1人でゲームをするか、絵を描くかという子どもでした。
物心ついた時からゲームと絵がずっと好きだったので、1人でいても寂しいどころか、逆に楽しいくらいの気持ちだったことを今でも覚えています。

そんな幼少期の中、小学校に上がる頃くらいに、母方の祖父母が同時に身体を崩し、入院することになりました。そして病に負けず闘病していた祖父でしたが、遂には亡くなってしまいました。自分が『おじいちゃんがんばれ』と似顔絵付きの手紙をかいた後のことでした。
そんな中、自分は祖父の死よりも、今まで見たことのないくらいの母の辛そうな顔ばかりが目に映っていました。当時のことを尋ねると、やはり母はあまりの不遇の重なりに精神的にかなり参っていたそうです。

そんな様子を見ていた自分は、子どもなりに、母を元気づけようとしていたようで、毎日のように似顔絵や手紙ばかりをかいていました。今になって打ち明けてくれたのですが、母は毎日届くその手紙に助けられていたそうです。

小さい頃の自分はとにかく誰かに送る絵ばかり描いていました。

中学・高校時代

福岡県立伝習館高等学校 2020年卒業
2014年ー2020年(13〜18歳)
大木中学校/福岡県立伝習館高等学校​​​
この頃の自分は、漫画家を夢見ていました。自分の大好きなゲームのように、読む人にストーリーを伝えることができたからです。そんな思いを両親に伝えましたが、安定した職について欲しい親としては、もちろん断固反対で、親の苦労を知り、困らせたくない自分は親の意見を飲んで勉強に勤しみました。その分、​気兼ねなくゲームができるように、成績は常に上位をキープし続けました。

そのうち、自分の大好きなゲームにプログラマーとして携わりたいと思うようになっていきました。そして、ゆくゆくは自分の描いたイラストで自分でプログラムを組んだ自作ゲームを出すことを目標にしていました。

​その夢に向けて、情報系の大学進学を目指し受験勉強に励みましたが、惜しくも前期試験では落ちてしまいました。ですが、自分に落ち込んでいる暇はないと言い聞かせ、落ちた当日から欠かさず毎日勉強を続けました。その結果、倍率の跳ね上がる後期試験で、無事合格することができました。

この時期のおかげで、『最後までやり遂げる力』、『大きな挑戦で挫けても再び立ち上がる力』が養われたのだと実感しております。

大学・専門学校時代

専門学校九州デザイナー学院
​​​​2021ー2023(19〜22歳)
佐賀大学(中退)
東京デザイナー学院
→九州デザイナー学院(転学)
​​​​大学進学後は、初めてプログラミングに触れて、1年半ほど勉強を続けていました。
ですが、自分はやっとの思いでついて行くことができるレベルで、周りには幼い頃から家庭にパソコンがあり、元々プログラミングに触れてきたような学生が多く、その時点で大きく実力差が開いていました。

その時に自分は自分自身の将来を改めて想像しました。
これからよりプログラマーの需要が広がっていく世の中で、自分の目指すゲーム企業に就職できるのは、高いスキルを持ったごく一部の層。このままでは、自分の目指した企業には遠く及ばず夢をかなえることもできない。それならば、自分の得意分野を伸ばして夢を追いかけようと強く思うようになりました。
そして自分の最終的な目標にしていた、自分のイラストを使った自作ゲームを作りたいという目標の、イラストの部分からのぼり直してみようと決心しました。

もちろん、これも親から断固反対されましたが、ここで折れることはどうしても出来ず、自分の意見を貫き通して納得してもらいました。
本当に両親には昔から今でも感謝しています。

そしてイラストレーターを目指して東京デザイナー学院に入学しました。キャラクターデザインや、UIデザイン、デッサンや背景などの勉強に触れて心から楽しんでいました。
​学校での環境にはすごく満足しておりましたが、こちらの事情で生活面が破綻してしまい福岡に戻ることになり、姉妹校である九州デザイナー学院に転学という形で入ることになりました。
九州デザイナー学院でも、引き続き、イラストレーターを目指して、勉強を続けています。