矢野葵
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ヒストリー

出身地

兵庫県

幼少期の暮らし、体験

小さい頃から友達には沢山恵まれていた。
ゆったりとした性格で争いごとが苦手だった。

小学1年生から硬式テニスを始め、スポーツを通してライバルと共に切磋琢磨することの大変さ、楽しさを学んでいった。

中学・高校時代

兵庫県立北摂三田高等学校
中学時代も引き続き硬式テニススクールに通いつつ、学校では美術部に所属。
本来持っているゆったりとした性格や内向的で内に秘めた情熱を、美術部の作品創りを通して表現していた。

行きたい高校に行くため、テニスばかりではなく勉強にも力を入れなければならず、テニスと勉強の両立に沢山悩んだ。
周りにはテニス一本の道に進む友達も多く、週6~7でテニスの練習に打ち込む彼らと戦績の差が開いていくのを感じとても悔しく、やるせない気持ちで何回もテニスを辞めようと思った。

しかしそんな中でも、絶対自分と周りを見返してやるという気持ちで、勉強はもちろんテニスでも手を抜かずに頑張った。
1回戦で負けてしまったが中学2年生の時は全国中学生大会のダブルスに出場し、中学3年生の夏に開かれた近畿大会のダブルスでは優勝することができた。

​無事志望高校に合格し、高校では硬式テニス部に所属した。
怪我と周りのメンバーとの部活に対する意識の差に悩み、高校2年の夏に退部した。
​7歳から始めた10年間のテニス人生に区切りをつけ、燃え尽き症候群になる。
しばらく勉強にもあまり身が入らなかったが、このままではいけないと思い自分を鼓舞して受験勉強に本気で取り組んだ。

​同じ志望大学、同じ学部を目指す友人たちの成績と比べてかなり劣っていたため、何度も心が折れてしまいそうになったが諦めず自分のやるべき勉強をし続けて、無事に志望大学、学部に合格した。

大学・専門学校時代

大阪大学
大学1年生から大学2年生の12月まで外国語学部体育会サッカー部のマネージャーとして活動した。

メンバーが不足していることはあったものの、大学のキャンパス移転に伴い様々な問題が生じ、急遽部活動が廃部になってしまった。

その不完全燃焼感を抱きながら、部活が終わってから挑戦してみようと思っていた留学に挑戦することに。

何も準備をしていなかったため、1年間程アルバイトをしながら自分自身の手で留学をアレンジし、自分のやりたいことが全部できる留学にしようと準備を進めた。

何をすればいいか分からない状況から、手あたり次第、留学エージェントや大学の留学支援センター、大学の先輩等から話を聞きつつ、自分自身でインターネットや本を用いて情報を取り整理していった。
秋ごろに、ヨーロッパのドイツへワーキングホリデービザを使って私費留学をすることに決めて、2022年2月に渡航、11月に帰国。