ヒストリー

出身地

三重県

幼少期の暮らし、体験

私は昔、父の駐在でアメリカのアラバマ州に住んでいました。
昔から絵や粘土遊びが大好きだった私は学校のアートクラブに入り、色々な画材で表現を楽しみました。
物心ついた頃の私にとって、アラバマの長閑な町は世界そのものです。でも時々両親がアラバマから私と姉を連れ出して、色々な景色を見せてくれました。
その度少しずつ広がっていた世界は、ある時に大きな変化を迎えます。

6歳の時に帰国した私は、それまでよりも格段に身近になった日本のアニメや漫画に影響されて、漫画家を夢見ていました。そして小学校高学年になった頃、それはいつしかイラストレーターに変わっていました。
父の古いスマートフォンを譲り受けた私は、アイビスペイントというアプリで人生初のデジタルイラスト制作を経験しました。今思えば画面も小さくタッチペンも使いづらかったのですが、その頃の私にとっては革新的に思えました。
卒業も近くなってきた頃、Splatoonという大好きだったゲームの絵をたくさん描きました。ファンアートという文化があると知ったのもその頃のことで、それは私が本格的にイラストの世界に足を踏み入れるきっかけとなりました。

中学・高校時代

津田学園高等学校 2023年卒業
中学時代、私の夢はまた一つ大きな転換期を迎えます。
私は小学校高学年の頃、父の実家がある伊勢志摩市でフィギュア原型師の方に会いました。
その時は百均の石粉粘土を少し触って挫折したのですが、中学生になってその方の講演会に参加した後、もう一度挑戦しようと思いました。
少しずつ作り方を覚えて、好きな漫画に出てくるキャラクターや、その時ハマっていたゲームのアイテムなどを立体化していきました。
また、中学時代に所属していた美術部では、今の私の原点となるスキルを学びました。
それはデッサン力です。
私は既存のものから発展させることは好きで得意なものの、0からデザインするとなると有り余る選択肢の中で優柔不断になってしまう点があり苦手でした。そんなとき、顧問の先生に「あなたは説得力がある表現をできるんだから、それを活かしなさい」という金言をもらいました。
そこで私は、1枚の中にインパクトと個性を収めるイラストよりも、それらを360度楽しめる立体物として補完する原型師になった方が私の得意分野を活かせるかもしれないと思ったのです。
それからもイラストは趣味として続けていたため、学年で出る長期休暇や行事の冊子で使う表紙はほぼ毎回私が担当していました。

親の支えと東京の大学に行った姉のおかげで、高校では一年の頃から色々な学校に見学しに行くことができました。
そのため3年生になってから、東京デザイナー学院への進学が決まるまで早かったです。
また特待生入試にあたり少しでも高校時代の自分の実績を増やしたく、イラストコンテストにも何度か応募しました。