センター試験の点数が思うようにいかず、第二志望の広島大学に入学した。
入学して間もなく和食屋でアルバイトを始めた。
マスターとママさんに娘のように大事にしてもらい、役に立ちたいという気持ちと、仕事がバスケと似ていて面白かったことから、バイトに明け暮れていた。
その間、自転車で探検をして、野菜作りを教えてくれるおじいちゃん、編み物教室、古民藝屋さんに出会う。
2年生の7月、地元で豪雨災害があった。
その日二十歳の誕生日で帰省していた私は、被害の大きかったところにボランティアに行くことにした。
夏休みにはwwoofというNGOのサービスを利用して、長野のトマト農家と石川の牧場にファームステイをした。
それから農家の暮らしに興味が強まり、休みがあればwwoofをしている。
春休みには豪雨災害のボランティアで知り合った方が、年に数回トラックで東北の被災地に行っているというので便乗させてもらった。
四日かけてみかんや野菜を配り、その後は別れて私は岩手に住む、古民藝屋さんの知人に会いに行った。
彼女のかいた『女わざ』という民俗学的な知恵や神話をまとめた本を見て、お会いしたいと手紙を出していた。
会うまでにお互いのことを知りましょうと返事が来て、約1ヶ月の間私は夜、彼女は朝、毎日ファックスを送り合った。
彼女の家で過ごした10日間は、倉庫の整理や畑仕事の合間に手しごとを習ったり、日本昔話を聞いたり、ゆったりとした時間を過ごした。
今年84歳になる彼女は時に少女のようで、時に私の想像も及ばない経験をしてきた先生になる。
三年の秋、ブラジルに行く。
田舎の生活が見たかったので、日系の農家に泊めていただき、農作業を手伝いながら3ヶ月間ブラジルを回った。
そこでたくさんの日本人がブラジルに渡ったことを知り、日系移民の文化に興味を持った。
閉じる