かおりん
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ヒストリー

出身地

四万十川の近く

幼少期の暮らし、体験

田んぼと山に囲まれた田舎に、4人姉妹の次女として生まれる。
家族の中で1人の男性である父によく、「男の子が欲しかった?」と尋ねた。
父は、「お前が男みたいやけんもういいよ。」
と答えた。
女の子らしくするのは苦手だった。

泥だんごを作るのが好きで、保育園では友人から作り方を教えるよう頼まれた。
固く、まっしろにできたお気に入りは、ウサギ小屋の床下に隠した。

小学校は8人で入学し、5人で卒業した。
10分間の休み時間になる度、クラス全員で外に出て走り回った。
週に一度、放課後にピアノを習っていたが、外で遊んでいた記憶だけが残る。六年生になると遊びのリーダー的な存在になり、みんなを外に連れ出していた。


中学・高校時代

中学では38人の1クラスで3年間過ごす。
入学してできた友人に、夏頃から突然無視され、暴言を吐かれるようになり、学校に行きたくない時期があった。
攻撃されていたのは私だけではなかったようで、先生の企画した話し合いで一応帰結した。
また、1年生の終わりに部活を変えた。
姉が入っていたからという理由でテニス部に入部したが、バスケ部への憧れを捨てきれず、バスケ部の先生に誘われたこともあり、転部を決めた。
テニス部の部員の前で自分の気持ちを話し、一人ひとりに手紙を書いて退部した。
父は、「一度決めたことは最後までやり通す」ことを良しとしていたため、反対したが、いざ入ると応援してくれ、タイヤのホイールでバスケットリングを作ってくれた。

高校には汽車で1時間かけて通った。
学生鞄を机にして、通学時間で課題をこなした。
自称進学校のため、入学時から受験が視野にあり、「今が勉強を始める時だ」というお話がよく開かれた。
スタートはたくさんあるのだと思った。
受験期になると放課後は塾の自習室で勉強し、友人と約束した21時の汽車で時々ご褒美に肉まんを食べた。
今まで「変わっている」といわれていたことを、私らしさとして捉えてくれる友人たちに囲まれ、穏やかな日々を過ごした。


大学・専門学校時代

センター試験の点数が思うようにいかず、第二志望の広島大学に入学した。
入学して間もなく和食屋でアルバイトを始めた。
マスターとママさんに娘のように大事にしてもらい、役に立ちたいという気持ちと、仕事がバスケと似ていて面白かったことから、バイトに明け暮れていた。
その間、自転車で探検をして、野菜作りを教えてくれるおじいちゃん、編み物教室、古民藝屋さんに出会う。

2年生の7月、地元で豪雨災害があった。
その日二十歳の誕生日で帰省していた私は、被害の大きかったところにボランティアに行くことにした。

夏休みにはwwoofというNGOのサービスを利用して、長野のトマト農家と石川の牧場にファームステイをした。
それから農家の暮らしに興味が強まり、休みがあればwwoofをしている。

春休みには豪雨災害のボランティアで知り合った方が、年に数回トラックで東北の被災地に行っているというので便乗させてもらった。
四日かけてみかんや野菜を配り、その後は別れて私は岩手に住む、古民藝屋さんの知人に会いに行った。
彼女のかいた『女わざ』という民俗学的な知恵や神話をまとめた本を見て、お会いしたいと手紙を出していた。
会うまでにお互いのことを知りましょうと返事が来て、約1ヶ月の間私は夜、彼女は朝、毎日ファックスを送り合った。
彼女の家で過ごした10日間は、倉庫の整理や畑仕事の合間に手しごとを習ったり、日本昔話を聞いたり、ゆったりとした時間を過ごした。
今年84歳になる彼女は時に少女のようで、時に私の想像も及ばない経験をしてきた先生になる。

三年の秋、ブラジルに行く。
田舎の生活が見たかったので、日系の農家に泊めていただき、農作業を手伝いながら3ヶ月間ブラジルを回った。
そこでたくさんの日本人がブラジルに渡ったことを知り、日系移民の文化に興味を持った。
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