今思えば、幼年期から国際交流に触れる機会の元で育った。1年間、アメリカのプレスクールに通い、初めの頃は英語を話すこともできなかったが、第一言語が違う友達と一緒に過ごした。例えば、お昼寝が苦手だった私は、文法は成っていないものの、「寝たくない」と伝えたくて、”No good night” などと、懸命に自分の意思を伝えていたそうだ。帰国してからも、ニュージーランド人の家族ぐるみの交流があり、英語で話したり、日本の名所を一緒に観光したりした。小学生の頃は、運動が好きでよく外で走り回って遊んでいた。また、旅行が好きな家族だったので、小学校を卒業するまでに、四国以外の都道府県には全て訪れた。色々な、景色、自然に触れ、感受性を高めることができた。
中学校の頃は文武両道で、勉強•スポーツに励み、学校行事では重要な役を担ってきた。校内駅伝大会は、3年間、選手として走った。しかし、部活は文化部で、家庭科部の部長•放送部の副部長を掛け持ちしており、部活動を通して、駅伝の駅伝選手としてのレベルを上げるとこは困難だった。そのため、引き受けたからには、他人が期待する以上の成果を出したい性格なので、空き時間にトレーニングをたくさんした。このように、積極的に、行動を起こすこのができたのは、小さい頃から様々な世界を見てきたために、挑戦することの楽しさを知ってるからであろう。高校の思い出は?と聞かれても、「勉強をしていた」と答えるしかないくらい、勉強漬けの毎日だった。しかし、そのお陰で、「もっと、勉強をしておけばよかった」等の後悔はない。
高校時代は、勉強に時間を注いできた分、今は思う存分、色々なことに挑戦している。3度の短期留学、留学生支援ボランティア、空港での障害者•高齢者•観光案内所でのボランティアなどを通して、大学生活を楽しんでいる。国際法を専攻しているので、それを通して、英語を勉強したり、国際的思考が身につき、色々な視点からものごとを見れるようにもなった。本来、2020年9月から行く予定だった一年の留学は、延期になり、今のところは4月から行くことが決定している。