内田 真美
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ヒストリー

出身地

福岡県

幼少期の暮らし、体験

人見知りが激しく大人しい子供だった。
人と仲良くなるまでに人一倍時間がかかっていて、
仲良くなったら即クラス替え、なんてことがザラ。


小学校高学年になってからはマンガとゲーム漬けの毎日。
友達と外に遊びに行っても、日陰でマンガを読むかゲームをしていた。
この時からマンガの模写をしていた。
ここが私と絵を描くことのファーストコンタクト。

マンガだけでなく小説も読んでいたが、ある日出された漢字の宿題で
指定された漢字を使って物語を書くというものがあり
その宿題を先生から絶賛されて小説を書く楽しさにも目覚めた。

……ゲームのしすぎで成績がガタ落ちして没収された経験が(二、三度)あり
その当時死ぬ気で勉強し、テストでオール満点に近い点数をとるも
結局ゲームは手元に返ってこなかった苦い思い出があります。

中学・高校時代

【福岡県内の市立中学校時代】
模写はもちろん、本を読むことやゲーム実況を見ることが好きだった。
ゲームが没収されてやりたい気持ちを消化させるのにはうってつけだった。

部活は美術部に所属。二年の中盤から部長(仮)に任命される。
三年に上がって仮部長から正式に部長に就任。
後輩が出来たこともあり、半帰宅部状態だった部活を改革することを決意。
まず、出席をとる時間を定め、部員全員に今日の目標や達成度、反省を書き込む活動シートを配り、一日の部活動へ取り組む姿勢の基盤を作った。

今思い返すと、まるで大会を目指す運動部のようなことをしていたなと思う。
でもそれくらい、私にとって美術部は思い入れ深かった場所なのかもしれない。
いきなりの改革だったにも関わらず、ついてきてくれた部員のみんなと
支えてくれた同級生には感謝しかない。

このときから漠然と絵に関連する仕事がしたいと思い始める。


【福岡県内の県立高校時代】
写真部に入部。体験入学に行った学校で写真の楽しさに目覚める。
三年の先輩から、廃部寸前だったところを頼み込んでなくならずにすんだことを聞き、先輩方が残してくれたこの写真部を何としてでも残そうと、そう強く決意した。

二年の秋、とある写真の大会で応募した作品が入選。
改めて写真の面白さに夢中になる。
このときは、「写真>>>>絵」という好きなことの逆転が起こっていた。

三年になって部長になる。
後輩たちと部活動生の姿や運動会などのイベントで写真を撮りまくる。
一年の時から色々な部活にアポを取って写真を撮りに行っていたこともあり
いつの間にか人見知りをしなくなっていて、後輩を連れて部活を撮りに行ったときには
顔パスで入れるようになっており、顧問の先生や部員と積極的に会話するようになった。
広報の先生や生徒会の人から写真の提供をお願いされるようになり
写真部の活動が認められたのだと、当時は大変感動した。

中高で絵と写真に触れてきて、どっちをやりたいか
人生の分かれ道に立った時、私は頭を抱えた。
三日三晩、考え続けて出した答えは、「どっちも捨てられない」だった。
しかし、両立させることは難しく悩みに悩んだ末、
幼いころから好きだった絵を選び、専門学校九州デザイナー学院に入学を決めた。

大学・専門学校時代

専門学校九州デザイナー学院
今までとは違う環境、周りの人、誰一人として”私”を知らないことに気付き、色々吹っ切れて性格がガラッと変わった。
積極的に人に話しかけにいったり、今しか出来ないことをなんでもやりたい!という思いから学校のイベントには積極的に参加した。
学生スタッフとして、体験入学のサポートをするアルバイトをする。
体験入学に来た高校生たちと会話をしたり体験授業を一緒に受け、楽しみながらサポートが出来た。
帰り際に、「とても楽しかったです。ありがとうございました。」と言われたことが嬉しかった。

私生活では、毎日何かしらのイラストを描くように心がけている。
急に小説を書くことに目覚め、おかげでタイピングのスピードが格段に上がった。
毎日欠かさずにその日の行動をスケジュール帳に記録していて、提出物の締め切りや作品の制作期間などスケジュール管理を徹底している。