水野亮
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ヒストリー

出身地

東京都江東区

幼少期の暮らし、体験

地域の少年野球を頑張っていた。

中学・高校時代

立教新座高等学校 2020年卒業
中学、高校共に野球部に所属し、頑張っていた。
中学では最初ピッチャーをやっていたが諦めてショートに移動、そしてショートもダメで外野に移動したが、外野ではかなり上手くいっていた。
しかし、終盤では外野の調子は良くなかったが、ピッチャーとしてスタメンででることができた。

高校では、ピッチャーもやりたかったが肩の痛みもあり、外野をやっていた。
2年生では各大会でベンチメンバーには入れたがスタメンで出ることはできず、悔しかった。秋・春共に背番号配布の時期にスタメンが怪我をしたことで1桁の背番号をつけていたが、試合には出ることができず恥ずかしかった。
最後の大会では2桁の背番号だったが、直前で調子が良く、スタメンででることができた。


大学・専門学校時代

立教大学
アメリカンフットボール部と準硬式野球部で迷い、アメリカンフットボール部に入部した。
レシーバーというボールを捕るポジションしかやる気がなく、他のポジションだったら辞めるというつもりで入り、レシーバーになることができた。

しかし、思っていたよりボールを捕る機会が少ないことからあまり競技を楽しめず、楽しめないのにミーティングでの拘束時間が長いなどから意欲が減っていき、2年生で準硬式野球部に転部した。

そこでは、高校ではサボってしまっていた体づくりをアメフト部で知識を得たことからやるようになり、現在もトレーニングを頑張っている。
最初の1年間は試合に出られなかった。新人戦にはでることができた。
2年目の3年生では、怪我の影響でほとんど試合にでることができなかった。守備要員として、最終回に少し出た。
3年目の現在、まだ冬でトレーニングに励んでいる。

今も中心に、準硬式野球部での活動に1番力を入れている。
競技歴が長いことから、特別な技術力の向上はないと考え、高校でさぼっていたこともあり、一番の欠点であった体づくりを大学では頑張っている。体づくりに関しては、部活がオフの期間であっても、体さえ動けば良いプレーができると思い、ずっと継続している。

その中で、特に頑張ったことは怪我の時期に、守備要員としてベンチメンバー入りするために努力をした事だ。体重を減らすことで守備範囲を広げ、守備で活躍できるようにした。結果、打撃はできないもののベンチメンバーに入ることができ、試合にも少し出場することができた。