石塚来輝
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ヒストリー

出身地

千葉

幼少期の暮らし、体験

小学校低学年の時に両親が離婚しました。母子家庭、三人兄弟の長男であるため幼少期から「自立心」がありました。仕事で忙しい母に迷惑をかけないよう、自分の事は自分で、自分よりも幼い弟達の面倒、家族のために出来る事を長男としての自覚を持ち、率先して行いました。

経済的な理由により地元のサッカークラブに通うことが出来ない経験をしました。「好きな事、やりたい事、想いがあってもお金が理由で叶わない」この体験は今の活動や生きる上での大きな原体験になっています。

結果的には周りの方々のサポートもありサッカーを始める事が出来ました。サッカーを始めて一年弱で市の選抜に選ばれ、最高学年の際はチームキャプテンとしてプレーに励みました。周りにとっては当たり前の事が、自分にとっては当たり前でなかったので、純粋に「好きな事」が出来る喜び、当たり前の環境を作ってくれた母をはじめ、周りの方への「感謝」を常に忘れずに日々の練習や生活を送っていました。

中学・高校時代

中学時代

人は「一人では生きていけない」「繋がり」が大切であると、幼少期の頃より思っていました。その為、中学時代では周りにいてくれるクラスメイト、部活の仲間を第一に考えて生活を送りました。クラスでは学級委員、部活では部長として活動しました。クラスでは全員が主役で全員が仲間意識をもって生活できるよう、自分が中心となって全員と会話や遊びができる空間づくりを行い、学年で一番のクラスとして今でも時間さえあれば集まる地元の仲間が出来ました。部活動においては大会等で成績を残すことが出来ませんでしたが、一つの目標に向かい、皆で努力をすることの大切さと素晴らしさを学びました。部長として常に広い視野で、どの様に立ち振る舞ったら、どの様な空気感が部員のモチベーション向上につながるかを考え積極的に対話と自分の背中で魅せることを意識して活動しました。

高校時代

中学でサッカーの結果を残せなかった悔しさをバネに、レベルの高い環境に身を置きたいと考えました。県内で常にトップレベルを走り、部員も100人程度の環境でのチャレンジを決めました。技術レベルでは圧倒的に他のライバルに追いつけず、一番下のカテゴリーでの練習が続きましたが、誰よりも朝一番に来て誰よりも遅くグラウンドに残り、諦めず毎日の努力を怠りませんでした。自身のレベルの限界やまともにサッカーでは敵わないことを痛感していたので「全国に出る」という目標の下、技術やプレー以外の側面でチームに貢献できることを考えました。次の代の主力となる下級生への指導やマインドセット、スカウティング、チーム全体を見た上でのチームマネジメント等を行いました。365日中10日もない休みで部活のみならず、勉強も高いレベルで求められ、時間の効率化と使い方を考えました。精神的にも体力的にも常に限界ラインでの日々を送っていたので、ここでの時間が自分の基盤づくりとなりました。

大学・専門学校時代

高校時代に怪我がちであった事などを考え、プレイヤーとしての限界を感じていました。改めて自分の大好きなサッカーのルーツを考えたときに、自身の原体験に気づきました。「好きな事、やりたい事がお金や環境が原因で出来ない」この自身の痛みを同じように抱えている子ども達に何かアプローチできないかと考え途上国への支援、国際協力という分野に足を踏み入れました。「サッカーで国際協力」をする学生団体に所属し、カンボジアで一番大きなスタジアムを借りて全国規模の大会等を企画しました。しかしボランティアで出来る事への限界を感じ、そしてもっとカンボジアのサッカーについて考えたいと思い、本田圭祐氏がオーナーを務めるプロクラブでインターンをしたり、ソーシャルビジネスについて実際に現地で活動する経営者の方々から勉強しました。

現在はこれまでの知識を返して自分でNGOを立ち上げました。子ども達の「好きな事、やりたい事が生まれた環境によって制限がかかってしまう」問題改善に取り組む活動を行っています。個人的に三つの小学校と提携しているので、そこの子ども達にサッカー、音楽、栄養、衛生、農業とそれぞれのコンテンツに分けてアプローチしています。