サッカーに興味を持ち、5歳の時に見学に行くも友達がいなくて怖くて途中で帰ってしまう。今思うとめちゃくちゃ行っとけばよかったと後悔する。行けていたら人生は変わっていたと思う。
中学受験をして中高一貫校である東京電機大学中学、高等学校に入学する。サッカーを真剣にやりたいと思っていたが、レベル、モチベーションといったマインド的な部分が低すぎた。しかも初心者で全くうまくなかったので意見も言えずに中学一年の時は苦しんだ。夏休みに、恩師のはるさんていうコーチが就任して、そっこから弱かったが段々とちゃんとした部活になっていった。通常だと中三の夏に高校サッカー部の練習に繰り上げとなるが、特例で6人が中二で練習に参加させてもらった。(高校に上がった時の底上げをするため)私は嬉しかったが、他の五人は正直意識も高くなく正直中学サッカー部に戻りたいと言っていたりもした。その中には素行が悪い人もいて、学年の担当先生たちはあまりよく思っていなかった。4か月ほどして、素行の悪い人たちの遅刻や学校生活での悪さに耐え兼ねた先生の意向で、六人全員が降格させられた。正直意味が分からなかったし先生とその友達に対する怒りよりも、なんでっていう混乱が大きかった。でもその時に唯一気にかけてくれたのがコーチのはるさんだった。こんなリーダーになりたいと思った。
高校に上がってそれなりに周りの実力(高入生がいるから)と自分のレベルも上がり、高2では副キャプテンに就任させてもらった。僕の学年は意識の高い人が3,4人ほどしかおらず、正直やりたくはなかったのが本音だが、自分以外に適任がいないと思ったのでしぶしぶやった。キャプテン一人と副キャプテンもう一人という体制だったが、怪我で調子が上がらずに一人だけBチームに回され、先生の都合悪い時にだけ使われるといったポジションになり苦しかった。新人戦になり、公式戦初出場を目指して怪我の兼ね合いを見ながら頑張っていたが、相変わらず周りの姿勢は変わらなかった。迎えた新人戦、普段ろくに練習に来ない顧問がスタメンを決めて自分はベンチ。後半になり4点差くらい開いたときに顧問が4枠くらいあった交替枠を使い始めて、結局練習を適当にやってた人たちが交代に使われ自分は出ることはなかったし、しかも試合に出ている選手たちも点差が開きすぎて正直手を抜いてプレーしているようにしか見えなくなっていった。後退してベンチにいる選手も笑って話していたり、そうして試合が終わった時に挨拶時に親が来ており、こんなチームでも試合に出られない自分が情けなくて涙が止まらなかった。そんなときもはるさんが声をかけに来てくれ、親とコーチがサッカーをやるうえでの支えとなっていた。
引退がかかった春の大会は、自分のためではなく支えてくれた人へのために頑張ると決めた。結果は初戦敗退、後半からの出場となったが一番いいプレーができたと思っているし後悔はない。そこからはひたすらに受験勉強をした。
受験を乗り越えて立教大学に合格、進学する。入学当初は、全国大会出場者とかがたくさんいて、自分が苦労していたサッカー人生がちっぽけだったと思い知らされる。サッカーを通して何かがしたいと思い、学生団体ワールドフットに二年生になり入団した。