林美咲
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ヒストリー

出身地

千葉県

幼少期の暮らし、体験

声がうるさく元気で、しかし喧嘩っ早く男子と揉めることが頻繁にあった子供でした。外でよく遊んでいましたが、行くと怪我をしtばんそうこうが必ず腕か足どこかについていたのを覚えています。
この頃から絵を描くことが好きで、授業中ばれないようにノートの下に紙を一枚隠し、黒板になにか書き時始めたと同時に下から紙を出しそこに自由に絵をかいていました。
テストにはそこまで苦戦せず、余った時間は隙間に絵をかいて暇をつぶしていました。家では5歳離れた姉が持っていた漫画「しゅごキャラ」や「×しな」を読んで過ごし、当時は漫画家に強い憧れを抱いていました。

中学・高校時代

植草学園大学附属高等学校 2022年卒業
中学では演劇部に所属しており、二年生の春には役者として個人演技賞を、三年生の夏には裏方として音響賞を頂くなど、表裏どちらもを経験し舞台に貢献していきました。
また、音響チーフに選ばれ仕事を終えた後、ノートに絵をたくさん描いていました。後輩や同級生には見せてと何度も言われましたが恥ずかしくて当時の私は素直に見せることはできませんでした。
その後、とあるyoutuberの作る物語に影響を受け、自分でもオリジナルの物語を考え、メモ帳アプリやノートにぎっしりと記録を残していました。当時将来の仕事について調べていくと同時に漫画家の過酷さを知ってしまい、現実逃避の気持ちもあったとは思いますが漫画家はあきらめてyoutuberになろう、だなんて一瞬考えていました。
が、それはそれで過酷であり危険とすぐ分かり何になりたいのかが全くわからない状態が続いていました。

高校は姉が行っていたという理由で選びましたが、正直進路を考えたくなくて、ここでいいや程度に考えていました。幸いにも絵をかくのが趣味であり、将来はイラスト系に行きたいというクラスメイトと出会い、一人のゲーム好きとしても一人の絵描きとしても発見と驚きが絶えない日々でした。
そんななかで私が大きな影響を受けたのは「ツイステッドワンダーランド」でした。ディズニーを愛し、ヴィランズを愛した私には運命的な出会いであり、今の私の思いにつながる数多くの感動がありました。その衝動に駆られ、ゲーム世界に自分のキャラクターを登場させるならどんな見た目か、完全オリジナルのキャラクターをここで初めてデザインしました。過去設定や話し方、背丈などを考え友人に披露するドキドキは唯一無二の幸福感で溢れていました。
その後、様々なソーシャルゲームをプレイし、高校生3年の春、ここでようやくイラストを描く職に就きたいという意思が固まりました。

大学・専門学校時代

学校法人花沢学園 専門学校 千葉デザイナー学院
一年生はお休みの日がありつつ、授業をゆっくりやっていたので家では趣味絵や好きなゲームに時間を費やしていました。キャラクターデザインの授業が特に楽しく、ヴィネットイラストが出来上がった時の満足感は今も覚えています。冬には進級加害に励んでいましたが、考えたキャラクターを3D化しなくてはいけないことを忘れ、衣装が少し細かいキャラクターをデザインしてしまいました。3Dスキルがあまりなかったので焦りましたが、
mayaでなんとか調整をして無事作品は完成しました。この課題は展示会を二日かけて行い、全生徒の作品が並ぶ中で私の作品は優良賞を頂きました。

二年生からは本格的に就職活動の話が進み、課題の詰め具合は急加速していきました。趣味絵の時間があまりとれなくなり、途中からは学校で課題を済まし、家で趣味絵を描くようにしました。夏休みには二次創作の企画に参加し、以来意地でも趣味絵を描こうと自分を追い込むようになりました。夏休み明けからは本格的にポートフォリオに載せられる絵をたくさん描くためにオリジナル作品を作り、そこに登場するキャラをデザインしていきました。