河口 紗英
フォロー コンタクト

ヒストリー

出身地

千葉県市原市八幡

幼少期の暮らし、体験

くるくるの天然パーマが特徴的なおてんば娘でした。
​髪の毛が本当にくるくるだったので、近所のおばちゃんたちに『くるくるちゃん』なんて呼ばれていたりもしました。 

お気に入りのキティちゃんの毛布が手放せず、家でも保育園でもずっと持ち歩いていました。
​嫌なことや怒られたりすると、毛布にくるまりよくいじけていたようです。

保育園の庭では友達と鬼ごっこや、かくれんぼ、ごっこ遊びをしていました。お外で遊んでいる時以外は、大体絵を書いていたようで、家には幼少期に使っていたお絵かき帳がとってあります。


​兄弟や親戚はみんな年が上で離れています。私は末っ子だったので可愛がられつつも、やや厳しく育てられたと思います。

中学・高校時代

千葉県立千葉商業高等学校
中学校に入学すると、姉と従姉妹の影響でソフトボール部に入部しました。
ちょっとした強豪校だったので、そこからは365日休みなく、ソフトボールに打ち込んでいました。
私は器用なタイプではなく、ガッツと根性でどうにかするタイプなので人の何倍も自主練習に取り組んで頑張っていました。
​成績としては、県大会準優勝、市大会優勝などです。
​3年時には、副主将を務めていました。

​ソフトボールをやりつつも、絵が好きなとこには変わりなく授業中はノートの端などに落書きを良くしていました。見返すとほとんどのページに落書きがあります。

高校でも、ソフトボールを続ける道を選びました。
​主将という役職をもらい、不器用ながらにチームを引っ張ろうともがいていた記憶があります。

それと合わせて自分が劣っていては行けないと思い
ひたすら自主練習の日々でした。朝一番にグラウンドに出て帰りは1番最後に出るという生活を繰り返していました。ですが、なかなか自分の結果も出ず、チームも上手くまとまらず、結果的に心と体を壊してしまいました。『イップス』というボールを投げれなくなってしまうような症状が出てしまい自慢だった肩も使えず一時はソフトボールを辞めてしまおうとまで考えました。
ソフトボールはチームスポーツです。1人で戦うスポーツでは無いとチームメイトが教えてくれました。
今まで1人で戦っていたつもりの私にはとても響く言葉でした。
その言葉に救われ無事に6年間のソフトボール人生を走り抜けることが出来ました。

ここで私は、人に頼ること、チームということを学べたと思います。

この頃の私のバイブルは、よく父が聞いていて私も大好きなTHE BLUE HEARTSの曲でした。


大学・専門学校時代

東京デザイナー学院
特に進路のことを考えていなかった私ですが、絵を描くことが好きなのは家族も知っていたので挑戦してみればということでこの学校に進学を決めました。

今までソフトボールしかやってこなかった私なので不安が大きかったのですが、仲間や先生のサポートの元で着々とスキルが身についてきています。

しっかりこの学生生活を無駄にしないよう頑張ります。