廣橋智美(さっちゃん)
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ヒストリー

出身地

山口県山口市

幼少期の暮らし、体験

好奇心旺盛ないたずらっ子の幼少期。

近所の畑の作物勝手に取って食べたり、

キッチンのごま油を床に振り撒いて這いずり回ったり、

おてんばだったらしい。本当に親に申し訳ない。

家族でよく出かけていたことが印象深い。キャンプや公園、父親のトライアスロン観戦など。小1くらいの時に父親がトライアスロンの世界大会に出た姿はどうやらその後もずっと憧れの対象として刻まれているようだ。



中学・高校時代

山口県立山口中央高等学校 2006年卒業

中学高校共に陸上部長距離

部活一筋の青春時代。走ることに人生をかけていた。

負けず嫌いだったので勉強もがんばってた感じ。

塾には意地でも行かないポリシーがあった。

将来の夢とか特になかったけど、海外に対する漠然とした憧れはずっと持っていた。


大学・専門学校時代

福岡教育大学 2012年卒業

なんとなく持ち続けた海外への憧れから、英語科に進学。

大学からマラソンを始める。大濠公園のランニングクラブに所属。20歳で初のフルマラソン完走。

大学で初の海外へ。一年間の交換留学バックパックでの一人旅、青春18切符での国内旅を通して見える世界が劇的に変わったことが人生の転機になる。

若気の至りで社会人生活を東京で過ごすことに決める。

英語で子供の世界を広げる!と中学校の英語の先生になることに決める。卒業研究も同じモチベーションで「外国人との交流を中心にした効果的な英語のスピーキング活動について」。「話したいことがあって、話したい相手がいて、英語でなければ伝わらない環境」が学校の英語の授業の核に必要だという主張と授業案を卒業論文にまとめた。



職歴

●大学卒業後、福岡から東京へ引っ越し。品川区の公立中学校で教員になる。

1年目は正直理想と現実のギャップに打ちのめされることばかりで、病む寸前だった。
なんとかいろんなご縁に恵まれ、自分らしく授業できるようになっていく。
よく通っていた近所のゲストハウスとコラボ授業をするようになって、自分の目指していた理想の英語教育を実現できるようになった。「英語で子どもが変わる」姿を見ることができた。
年を重ねるごとに担任としての教員のやりがいを感じるようになる。「学級が変われば学年が変わる。最高学年が変われば学校が変わる。」を実感した。
教員としてできることや制約が増えていく中で、その先の教員人生や、人生でやりたいこと、他の人生の選択肢などが見えてきたとき、教員をやり切ってやめようと決意。

3年間担任として持ちあがった、自分にとって最後の生徒たちの卒業式の日は、それまでの30年間の人生で一番幸せな日だった。(2018年3月20日)

教職を退職。(教員生活6年間)

●まちづくりやゲストハウスに興味があったので、自分のゲストハウスを開業しようと思い、ゲストハウススタッフとしてアルバイト生活(1年間)。
(2018年4月〜2019年3月)

●ゲストハウス開業に違和感が芽生え、悩み抜いたのちに、住所不定無職になる決断をする。「1年間の自己投資期間」とし、仕事に縛られることなくやりたいことを自由にやろうと決めた。

●7年間の東京生活を終える。自転車で福岡まで引っ越す。

自己投資期間にやりたいと思ったこと2つを実現。
①以前ご縁があり一度訪れて、長く暮らしてみたいと感じた場所「津屋崎」に暮らす体験
(2019年4月〜2019年8月)
・「対話」に出会う
・「地に足のついた豊かな暮らし」を経験する
・自分らしくのびのび生きる人たちに多く出会う

②ずっと夢だった世界一周バックパック一人旅の実現
(2019年9月〜2020年4月)
・しがらみのない自由を経験する
・他人の目や「こうあらねば」の呪縛から解放される
・コロナにより最後は強制帰国。7ヶ月28カ国旅して世界一周も終盤だったとはいえ、自分で旅の終わりを決められなかったことが、後々かなり大きく尾を引く。

津屋崎に移り住む。(2020年6月〜現在)
旅の終盤から、帰国したらまた津屋崎に暮らしたいと思い始めていたところに、ご縁あり、津屋崎暮らしが決まる。
一般社団法人まち家族の社員として、津屋崎の古民家「旧糀屋」を拠点に、まちづくりの活動を行う。主な内容は、宿泊施設と喫茶、ワークショップやイベントの企画、運営など。