苅澤 聖龍
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ヒストリー

出身地

東京都江東区亀戸

幼少期の暮らし、体験

幼稚園の頃は、友達とおもちゃの取り合いで毎回喧嘩して、負けて先生に泣きつくような子供でした。
5歳から兄の影響でサッカーを始め、11歳の頃にはトレセンに選ばれたりキャンテンになったりしました。
​この頃からサッカーを本気で頑張るろうと思っていて、サッカー選手を夢見る元気な子供でした。

中学・高校時代

中2の頃、チームキャプテンになり中3で降板になりました。
今までキャプテンになる事が多くて、常にチームのことを考えていたからこそ、この降板はすごいショックで今までの頑張りが水の泡になった気分でした。ですが、肩書きは肩書きでしかなく行動を変える理由にならないと気が付く事ができました。
高校3年間もこの気持ちを忘れず行動し続ける事で、底辺からトップ公式戦出場も経験しました。

大学・専門学校時代

自分の中からサッカーがなくなって、大きな喪失感があった中夢中になれるものを探していました。
今後の人生でサッカー以外に熱狂できるものを探そうと思い、なんでサッカーに熱狂していたのっかを考えるようになりました。
自分なりに考えた答えは勝負へのこだわり、コンマ何秒の駆け引き、チームが一体となる爆発力があるから熱狂していたんだと思います。

人生の大半を過ごす仕事についても考えるようになり、好きなことを仕事にしたいと思うようになりました。
自分にとって好きなことは何か逆算して、サッカーが好きだからコーチになったら、ビジネスに興味があるから学生団体に所属してイベント運営をしたり、ベンチャー企業でアルバイトとして営業をしたりしましたが、逆に好きな方が何か迷子になりました。
​でもそんなのは当たり前で、13年間続けたから見えてる好きに他を当てはめても新しい好きは見つかりません。
プレーしてた時はもっと単純に楽しいって気持ちの方が大きかったから、好きよりも楽しいを見つけるようにしました。

そんな中、授業でプログラミングに触れる機会があり、出来ないことが出来るようになるときが楽しいって感じる瞬間だと気が付き、IT業界に就職しようと決めました。

職歴

出来ないことが出来るようになることに楽しさを覚えると、自然と仕事も楽しく思えています。
未経験でIT業界に入ったこともあって教わること全てが出来ないこと、分からないことでしたが業務を通して理解を深めたり、上司とコミュニケーションを取って業界の理解を深めたりしました。

業務に慣れてきたらどうしてこの業務が必要なの?もっと効率よく出来ないか?など視点を変えて行動するようになり、自分なりに学び行動して業務効率化に貢献することができました。

与えられたものを最大限頑張ると評価される学生時代
与えられたもの+αを付けて結果を出すと評価される社会人
+αを求められる社会人ですが学生時代も監督、コーチが求めいていることを考えプレーしていたので社会人になっても同じだなと思っています。
自分なりに考え行動することに意味があり、人間は失敗する生き物だから怖がらずに自分らしく仕事をできている今は幸せです。