習い事をたくさんしていました。ピアノ教室、英語教室、書道教室、スイミングスクール、バスケクラブ、そろばん教室に通っていました。
習い事がない日はひたすら友達と公園で遊んでいました。
学校では伴奏者、応援団、小学6年生の運動会では応援団長を務めました。
中学校ではバスケ部の部長をやっていました。また、学級委員や委員会副会長、指揮者、応援団副団長をやりました。リーダーシップをとることに苦戦した時期もありましたが、徐々に慣れていきました。
高校では、バスケをやめて全国大会常連の強豪校のダンス部に入りました。0からのスタートは久しぶりで、毎日自主練をしていました。人生で一番努力していました。ダンスという表現方法を得て、生活がとても豊かになりました。大会に出るためのオーディションに一度落ちましたが、夏の全国大会に出るために必死に努力して合格しました。引退の時には、文化祭で自主公演をつくりました。1000人以上の集客に成功しました。
中学時代はリーダーシップに励みましたが、高校時代ではリーダーではなくリーダーを支えるポジションで能力を発揮できました。
大学入学後、日本一のダンスサークルといわれる立教大学D-mcに入りました。500人以上の大きな団体だったのではじめは慣れないことが多かったのですが、地道に努力を続けたことで周りに認められるようになりました。2年生の時には学年マネージャーと、waackというダンスジャンルの振付師を務めました。Japan Dancers' Championship2020というサークルの全国大会で、優勝することができました。