坂井 智仁
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ヒストリー

出身地

埼玉県和光市

幼少期の暮らし、体験

人を思いやる事に常に気をつけていました。

幼稚園の頃に決まった女子二人からいじめられていて、その時から人への思いやりが必要なのだと分かりまして、小学校では、思いやりを常に考えようと思いました。

でも幼稚園の頃から人より運動能力や、手先などの能力が衰えていまして、他人からの誘いを断ったりしていまして、それに私は他人と関わるより一人で自由な事をしているほうがいいとほとんど思っていました。こうゆう理由で人と関わるのを避けていたせいで人付き合いが苦手になってしまいましたのでいじめは男子からも受けるようになってしまいました。

中学・高校時代

中学は、すごく辛かったですけどその分高校は、充実していました。

中学では小学校の時からひどいいじめにあうと予感していましてなんとかしようと思いついたのが小学校の時から気づいた因果応報を利用することでして、それはちょっとしたいたずらをしてそれがいじめかなんかで返ってくることを利用して心の中で「自分はいたずらしたからいじめられなくてはならない」という思いを持ち続けて中学生活を卒業するという気持ちで中学生活嫌々送っていました。でもいたずらの種をまきすぎてしまいまして想像以上に辛くなってきてしまいましてとうとう中学2年生で自殺を決意しましたけど後半からいじめっ子が友達みたいに優しくしてくれまして生きる希望が持てまして、もっと学校生活を送りたいという思いになれました。

当たり前ですが幼稚園、小学校、中学校とほとんど人間関係に悩んできまして、学校行きたくないと思っていましたので勉強、運動等全く努力してきませんでした。特に学力は、絶対に学校に行く受かりたくなかったのでテスト前でも教科書やノートに手を触れることすらしてませんでした。でも中2の後半からやっと仲間の大切さが分かり少しずつ努力していましたのですがやはり努力が遅すぎたせいで中3からは、ほとんど仲間はずれにされて辛い思いをしていました。

そこからもっと勉強や努力をして仲間がすごく増えてきて良かったです

中学卒業してから高校生になるまで時間が空きすぎて待ち遠しかったです。

高校は、全く小中時代努力していませんでしたので定員オーバーじゃなければ誰でも入れるような高校でして一年と二年の2学期まではつまらなかったです。二年の途中から時間が経つごとに厳しさが増す社会でどうやって自立をすれば良いか不安になり大学受験用の塾と生徒会をやることに決めました。高3になると生徒会と受験勉強と部活の両立がすごく大変であまりの疲れに先生に心配や面倒をかけてしまいました。でも無事希望大学には一般入試で受かりましたので良かったです。

大学・専門学校時代

現役で入った工業大学は、一年生の頃は、とても充実していました。春学期には、自分の出身した高校で数学アドバイザーをやらせてもらい、いい、教師の勉強が出来ました。秋学期は、勉強と運転免許取得の両立が大変でした。二年生になってからは内容が全くついていけなくなってしまいました。なので大学の先生に相談してしばらく休学することにしてアルバイトを主にしながら生活していました。それが一年間続いて退学することになりました。その後は一年間配達業をやることにしました。それからお金を稼いでいるうちに私が高校から大学まで工業を選んで向いていなかった理由が分かって私には何が向いているか分かり放送大学で心理学の研究をすることにしました。心理学の研究として色々な学生団体の人と関わっていくうちに心がどんどん成長して嬉しかったです。

職歴

ゴミ回収、倉庫内作業、印刷業、引っ越し、搬入作業