生まれつき聴覚障害を持って、生まれる。生まれてすぐに聴覚障害が判明したわけではなく、2歳ごろに判明した。保育園で親が迎えに来たら、子供は喜んで親のもとに行くのに、保育園の先生が呼んでも反応が無かったことから不思議に思ったことが病院に連れて行くきっかけとなった。読書が好きで一人で閉じこもる印象が強かった。小学1〜3年は親の希望もあり、地元の健聴校へ行く。しかし、コミュニケーションはあまりせず、2年まで友達があまりできなかった時があり、そこから全ての内容を自分で理解したいとの想いから小4にろう学校へ転校し、手話をコミュニケーションとして過ごす。
中学も引き続き、ろう学校に通うが、中1からは受験で合格した東京のろう学校に通い、部活は野球部に入ったりと充実していたが、ある日不登校になり、学校を休むようになる。自分の中でのキャパがオーバーしたことによるものが原因であったが、自分を変えたいと思い、中3に小4から通っていたろう学校に戻る形で転校する。そこからもなかなか不登校から抜け出せない中、高3をきっかけに奮闘し、不登校から抜け出した。高校では、美術部の部長をつとめたりとした経験がある。
情報保障や、自分の好きな作家について研究する先生のもとで学びたいと思い、大東文化大学に進学。大学生活を楽しみにしており、さまざまな活動に積極的に取り組むようになり、充実している毎日ばかりでいた。それでも、やはりコミュニケーションの壁にぶつかる。ろう学校の経験が長い私からすると、健聴の世界にこれほど広く関わるのは初めてであった。そのためか、コミュニケーションがうまくいかなかった。さらに、私は、自分から喋るのだけはできるため、「喋る=聴こえる」と誤解を受けやすく、さらにつまずく。なかなか友達もできず、ろう学校では当たり前の「手話」が当たり前ではない世界で手話で話せる友達を作りたいとの小さな願いから手話サークルを立ち上げ、代表を務めている。