ちか
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ヒストリー

出身地

埼玉県

幼少期の暮らし、体験

幼稚園入るくらいまではやんちゃな子どもで、自由奔放、何にでも興味を持つ子だったらしい。本を与えても読まず、ずっとお外で遊んでいるタイプ。

中学・高校時代

中学は地元の公立中学。陸上部長距離と生徒会書記をやっていました。

高校はどうしても入りたかった公立高校に落ちて私立に入学しました。一応共学ですが、3年生のときはクラスの女子は5人でした。でも窮屈とかではなく、むしろ居心地は最高でした。クラスメイトの顔ぶれがあまり変わらなかったのも大きいと思います。
色々苦労がありながらも高校で競技かるた部を最後まで続けました。激戦と言われる首都圏の大会で6回戦を勝ち抜き優勝した経験は自分に自信をつけてくれました。

大学・専門学校時代

お茶の水女子大学
生活科学部人間・環境科学科。工学部みたいなもんです。

大学に入学して、(お茶大だと)中学受験をしていない方がマイナーなことに驚きました。中学受験って、頭が良くて家庭が裕福な一握りの子しかしないイメージでした。教育格差とまではいきませんが、教育背景の違いを感じました。

2年生からはひたすらオンライン〇〇の日々。3年生のときは就活に追われていました。4年生になってからは某感染症で失われた大学生活を取り戻すべく学生生活を全力で楽しみました。好きな授業を好きなだけ取り、平日の昼から遊びに行き、土日も遊びやバイトに費やし、合間に研究をする生活を送っていました。研究では途上国の下水とそれに対する住民の認識について海外調査を行い、3月末まで卒論、学会、論文投稿に取り組みました。海外調査では人々の幸せであたたかい暮らしに触れました。

4年生は遊びも学びも本当に本当に、信じられないくらい充実した1年でした。「今が一番楽しい」と毎日感じながら日々を送っていました。思い出を語ればキリがないのですが、1つ挙げるとしたら瀬戸内海に初めて行ったことでしょうか。穏やかながらもキラキラしていて、人々の暮らしと共に佇む瀬戸内海の美しい島々は思い出すだけで自然と笑顔になれる、そんな景色でした。

大学院には行きませんでした。理由はこれまた色々ありますが1つ挙げると、「このまま制限だらけの学生生活を送っていても仕方ない」と感じたからです。

職歴

SUJ学生講師は卒業しましたが、自分の考えの言語化のために更新しました。

会社員となり、大手企業の東京本社の新規ビジネスを推し進める部署にいます。個人の目標は社会の新しいスタンダードを作り出すことです。

勉強が義務でなくなった今、勉強の尊さをふつふつと感じます。自分に足りないこと、興味のあることがふつふつと湧いてくる感覚。今はAI、英語、お金、マナー、振る舞い、語彙、民俗学とか。かっこいい女性になりたいです。
仕事上で精神的にやられかけたこともあり、心理学への熱意が再燃。これまでは心理学への興味は漠然としたものでした。これを機に自分の心の持っていき方、大切な人の気持ちの受け止め方を学びたい、という明確な目的がようやく見えてきました。

東京から出たいという気持ちはずっと持ち続けていますが、初期配属では叶いませんでした。どこか第2のふるさとと呼べるまちを持つことが私の夢です。