諸留 卓
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ヒストリー

出身地

大阪府

幼少期の暮らし、体験

4歳半のとき、親が、エネルギーがあり余って手がつけられない問題児の息子(自分)のエネルギーを発散させるために、地元の体操クラブに連れて行ってくれたことで、体操と出会いました。自分と同じ人間が人間技とは思えない動きをしているのを間近で見て、感動しました。

中学・高校時代

大阪府立市岡高等学校 2013年卒業

中学校の入学と同時に、通っていた体操クラブで選手コースに進級し、練習量が急激に増えました。オリンピックの金メダルを目指して、週6日命がけで練習しました。右肘に違和感・軽い関節可動域制限を感じましたが、痛みを半年間我慢して練習を続けました。しかし、痛みが限界に達し、中学2年の春に病院に行きました。その結果、練習のしすぎで右肘の軟骨障害が発覚し、ドクターストップがかかりました。その後、5軒ほど病院を回りましたが、どの医師からも「もっと早くに来ていたらな」と言われ、他のスポーツへの転向を勧められました。アイデンティティを失ったようで、目の前が真っ暗になって絶望しましたが、体操は絶対に辞めたくありませんでした。そこで、トレーニングやストレッチの本を30冊ほど親に頼んで買ってもらい、体育館の隅で半泣きになりながら、先生に見捨てられたように感じ、毎日数時間にわたって体幹トレーニングを繰り返しつつ、練習仲間の演技を見てイメージトレーニングをする生活を、中学3年の夏まで続けました。この1年半の間、小学生に抜かされていくという劣等感と、早く復帰して上手くなりたいという向上心を強烈に持ちました。ドクターストップから練習に復帰したときは、泣くほど嬉しかったことを鮮明に覚えています。

高校の体操部では、松岡修造さんのような顧問の先生の熱く親身なサポートによって、大きな怪我はなく上達しました。体操を思うようにできて楽しく、幸せでした。先生や練習仲間、器具に心から感謝しています。高校3年の夏に出場した引退試合では、団体総合・個人総合・種目別あん馬・種目別平行棒で優勝しました。最終種目の鉄棒では、バーと二人きりの世界に浸っており、バーをとても愛おしく感じました。最高で、ゾーンに入っていたように感じます。こうして、有終の美を飾って、13年間の体操の選手生活を終えました。

大学・専門学校時代

同志社大学
神戸大学 2019年卒業
早稲田大学大学院 2021年卒業

体操に替わって打ち込めるものを探しましたが、なかなか見つかりませんでした。体操が自分の8割ほどを作っていると思っており、苦しい毎日が続きました。GPA最優秀者として表彰を受けました。大学2年の夏、インターンシップ先で人生の師匠と出会いました。松岡修造さんや武井壮さんのような方で、ご縁に感謝しています。

環境を変えようと思い、3年次編入学しました。自分のしたい研究は、希望して配属された研究室ではできないことが分かって愕然としました。研究計画を立てる過程で進路に悩み、30名ほどのスポーツ医学研究者、スポーツドクター、スポーツトレーナー、スポーツ理学療法士の方に相談に伺い、最終的に医学部再受験を決意しました。4年次に進級してから、休学して予備校に通い、毎日15時間ほど勉強しました。2年間休学して2度入試を受けたのですが不合格となり、復学しました。本来は卒業論文の執筆を優先すべきところ、音楽やダンスといった芸術系の授業も履修しました。これは、数字からは読み取れない定性的な部分や論理では説明できない感性・直感を大事にしたいという思いからです。

上京して入学した大学院では、念願だった体操のスポーツ障害の予防についての研究ができて満足でしたが、研究とスポーツ現場のギャップも少し感じました。また、研究と並行し、芸能界を志望しました。そこで、俳優の芸能事務所を30社ほど受けたところ、複数の事務所から合格をいただきました。収集心が強い自分の価値は、俳優より文化人やタレントとしてのほうが発揮できそうだと感じ、事務所への所属を辞退しました。メディカルの枠で推薦していただいたLittle You 2019で、体操のスポーツ障害の予防に関する活動以外に横展開しすぎていることを、メンターの方にご指摘いただきました(https://bizspa.jp/post-183823/)。体操クラブの子どもと保護者を対象とし、体操のスポーツ障害の予防のセミナーや、ゲストスピーカーによるスポーツ心理学、スポーツ栄養学のセミナーを含む体操教室を開催しました。自己実現と他者貢献を両立できていると思いました。好きなことを仕事にして、オーダーメイドのサービスを提供したいと感じました。Little You 2019の最終審査会ではゴールドスポンサー賞を受賞しました。前日のリハーサルまで登壇が怪しい状況だったので、登壇できたことがまず嬉しく、さらに受賞できたことが信じられませんでした。

TOKYO STARTUP GATEWAY 2019というスタートアップコンテストに参加し、二次審査で落選しました。事業を通して、心身ともに豊かな子どもたちを増やしたいと思いました。これと並行し、映画『アイドルスナイパーTHE MOVIE』にアクロバットスナイパー役で出演しました。体操の経験を生かして自己表現できて楽しかったですが、前述したとおり、たとえば殺人者やレイプ犯を演じた場合もそう思えるのか疑問に思いました。冬に、第41回ネットワーキングナイトで、「運動する子どものケガ予防と人間教育を両立する」というテーマでピッチしました。ビジョンやビジネスモデルを深掘り、プレゼンの場数を増やす必要があると痛感しました。その後、第2回 WASEDA Demo Dayという早稲田大生向けのビジネスコンテストでメンター賞を受賞しました(https://waseda-edge.jp/event_report_2019?id=20200213)。

さらに、BEYOND 2020 NEXT FORUM 総合セッションでもピッチしました(https://www.youtube.com/watch?v=l76f6HXW-4o[46:00-49:40])。実現可能性に言及したほうがよかったと思います。また、一言で事業内容が伝わるサービス名に変える必要があるとも感じました。なお、i.schoolという東大発イノベーション教育プログラムの2020年度通年生に選んでいただきました。プログラム中は、多様な背景の方と共創して0→1を創る過程を徹底的に磨き、精緻なアイデアを発想するワークショップを行いました。

また、MAKERS UNIVERSITYという次世代のイノベーターを育成する学校の5期生にも選んでいただきました。学生起業家の同期と、互いのビジョンやビジネスモデルについてよく語り合いました。インタビューを30件行ったり、ベンチャーキャピタリストの佐俣アンリ氏にメンタリングしていただいたりもしました。ただ、アプリ版練習日誌の事業に人生をかけて取り組みたいと自信を持って答えられない自分を見過ごせず、起業を辞めてベンチャー企業で修行することにしました。修士論文では、不安やストレスが倒立の姿勢安定性や上肢筋活動に及ぼす影響について執筆しました。

職歴

大学の学部時代に行っていたアルバイトでは、体操クラブのインストラクターとして、体操を小学生・中学生・高校生に教えました。教えるのは難しかったですが、子どもと過ごす時間は楽しかったです。大学院の修了後、人材系のベンチャー企業に新卒で入社し、優秀層と体育会に強みを持つ就活イベントと人材紹介の法人営業を行いました。新規案件が大半でした。入社後4ヶ月で退職し、非認知能力を育む21世紀型の子ども向け体操教室を含めて次のキャリアを模索した後、教育・人材系のスタートアップ企業に転職しました。LPG(Life Playing Game)という、社会課題と学⽣を結びつけて若い視点を活かして社会課題を解決できるプラットフォームを運営しており、キャリアトレーニングプログラムの集客~セールス~カスタマーサクセス、営業事務、オリエンテーションなどを行いました。また、第5回世界青少年「志」プレゼンテーション大会の副実行委員長を務めました。若者主体の大会を目指して10ヶ月間準備し、2022年10月に行われた大会は感動的でした。教育立国推進協議会(政府関係の教育改革プロジェクト)では、大学までの教育の無償化をテーマとする分科会の事務局を務めています。2022年5月に提言書を提出し、現在は発表準備に取り組んでいます。現在は、社会人向けのビジネススクールやセミナーを行うベンチャー企業で、セミナーの運営や健康コンテンツの立ち上げなどを行っています。