3歳から同じアパートのお姉さんの影響で水泳を始めるも顔もつけれないほどのビビリを発揮。
左利きだったので右手での字の矯正をさせられてかなり嫌がっていたがなんだかんだ矯正できた。今では矯正してくれた親に感謝している。
卒園式の後に熊本の実家に1人で新幹線で行ったことが人生で一番の冒険だったかと思われたが、じゃがりこを食べていたらあっという間に着いたのでそこまですごい経験でもなかった。
中学・高校は強豪でサッカーをするために熊本に寮生活でをしていた時期であり反抗期のピークであった。
初の一人暮らしで楽しみにしていたが、生活費を稼ぎながら大学生活をしなければいけなかったので1年次は月に200時間以上働きながらサークルや授業に行っていた。
たまたま行った賢者屋のイベントに参加してたまたま優勝していつの間にか東京でインターンをしている。同時に、広島の学生団体で新支部立ち上げにも関わり、日々多忙な生活を送っている。