田村 一馬
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ヒストリー

出身地

神奈川県

幼少期の暮らし、体験

【幼児期】

1998年神奈川生まれ横浜育ち。わんぱくな奴らは大体友達。

父親を知らないが家族には恵まれた。初めて話した言葉は「ママ」などではなく「タイヤ」。車が好きな子供だった。

1歳半からひらがなとアルファベットを読んでいたそうだ。

習い事の体験入学に言ってもすぐに拒んで泣き叫ぶような子で、手のかかる子だった。今思えばこの頃から何か自分軸のようなものがあったのかもしれない。笑


【保育園時代】

お遊戯会の劇で主役を務める。

保育園にフィンランドから来たサンタさんに「Thank You Very Much!」と言ったそう。

その割に仲の良い友達は一人だけ。

年少の持っているレゴブロックが羨ましくてしょうがなかった。


【小学校時代】

架空のキャラクターをモチーフにした絵本を書くことに没頭。クラス中に配って、キャラクターの名前が学年中に轟く。みんなに作品を喜んでもらえることが嬉しかった。

その一方で、ディスカバリーチャンネルの未来生物特集やスティーブンホーキングの宇宙論、地球外生命探査や古代エジプト、ローマ帝国の歴史が好きになる。

「海のエジプト展」と称した展覧会や、水族館での生物特集コーナーに行った経験も。

当時慶應大学が作った時速370キロ出せる電気自動車に憧れ、将来は「新しい仕事をしたい」と思うようになる。

この性格もあって、クラスでの友人は男子よりも女子の方が多かった上に、いじめを受けることもしばしば。

卒業アルバム。「子供の今はない新しい仕事をしたい」と書かれている。

中学・高校時代

【中学時代】

小学校時代のキャラクターが原因で、電波系であると吹聴されて以来3年間肉体的、精神的いじめを受け続ける。

食事はほとんど一人でとっていた上に、修学旅行もずっと一人。先生と回るという典型例だった。

中学2年時には少し友人ができるも、その友人の一人がいじめっこ側についた経験に大変傷つく。人への信頼について考えるきっかけに。

だが学校は1日たりとも(インフルエンザを除く)休まず、合唱コンクールや体育祭などの学校行事は誰よりも積極的に参加した。英語の授業でも発音を笑われたりするものの誰よりも発言した記憶がある。

いじめを理由に学校を休もうものならいじめっこの思うがままになると思ってしまい悔しい。なにくそ。その気持ちが強い原動力になった。

【高校時代】

横浜の公立中学から東京の高校に進学。小学校時代に科学ドキュメンタリーに心奪われていた少年が私立大学文系専願高校に進学したことから、「新しい仕事」への憧れを知らず知らずのうちに押し殺す

電車通学だったため、朝6:30に起床、満員電車に揉まれ学校まで1時間。電車の中で英単語帳を手放さない日々を過ごす。国際系の学科で朝は8時から英単語テスト。

その一方で弓道部に所属し、仲間とともに苦楽を乗り越える。週6回練習で、部活漬けの日々を送る。


2年時には米国シアトルに短期留学し、ホストファミリーに複雑な生い立ちを正直に話した際に言われた

「responsibility」

という言葉が深く突き刺さる。

ホストファザー。


2年生の時には文化祭で店長を務めるが、仕事スピードの問題から解任させられ不甲斐なさを味わう。見返してやる!と強く感じた。 


部活引退後、偏差値的に平均より下回る高校から、偏差値を半年で25上げ立教大学に現役で進学。

大学・専門学校時代

【大学時代】

入学前に脳動脈瘤が見つかる。

激しい運動をしたら頭の血管が吹っ飛ぶと脳外科医に言われたことをきっかけに、大学で体育会に入会することをあえなく諦める。ちなみにボート部かヨット部か射撃部かラクロス部に入りたいと思っていた。

大病や骨折を経験したことがなかったので、いつ死んでも人はおかしくないんだと自覚したきっかけ。

[1年生]

受験生時代は「超頭がよく、賢い人が多いんだろうな、雲の上の存在だ」と思っていた自大学のレベルに失望。

そこでせっかく入ったからには全部活用しきれる機会を生かそうと思い、英語サークルと国際交流サークル2つ、競技かるたサークルなどあらゆるサークルに参加。英語サークルと国際交流サークルに没頭する。

専攻の法学に加え、国際的な分野に関わる副専攻を受講し、取得単位数にかかわらず英語の授業を週4回ー5回入れていた。

また同時期に、早稲田大学への仮面浪人を半年間続けるも失敗。

[2年生]

サークル活動の一環でシンガポールの学術フォーラムに参加。

国際交流サークルで店長と代表に就任。悔しさをバネに半年間売り上げ設計や買い出しなどを行い、歴代最高額の15万円の利益をあげる。

長期インターンに応募するも10社落選。幸い大手ITベンチャーに拾われ、1日100件の電話営業を開始する。

後半から学内の合気道サークルに入会し、合気道に打ち込む。

[3年生]

就活とヒッチハイクに打ち込む。

GWにヒッチハイクで東京から北海道を往復し、様々な働き方と価値観に出会う。

6月から就活に打ち込み続け、インターンは合計15社ほど参加。しかし就活に打ち込みすぎたあまり孤独感と焦りに常に囲まれ、最も暗い大学生活を送る。

[4年生]

108社落ち。内定を1社も獲得せず、就活を終える大失敗を経験。

デベロッパー、不動産、総合商社、福祉、広告、人材、専門商社、コンサル、シンクタンク、IT、医療、メーカー、B2B、鉄道、自動車、銀行、投資銀行、スタートアップ、製薬、食品を受ける。就活というイベントについて幅広く学ぶと同時に、構造上の闇を発見する。

全落ちまで累計100名のOBとお会いさせていただき、仕事に対するマインドを徹底的にヒアリング。誰もが知る企業には一度はエントリーした覚えがある。

最後の面接に落選した直後、起業家養成スクールに多額の費用を支払い入会。初回発表の日にビジネスコンテストに出場したことで問題児扱いされる。

そしてビジコン落選後チームメンバーと音信不通になり離散。

同時期にディスカッションサークルゼロを再び立ち上げると同時に、

700名規模の学生団体しるべにも参加。11期リーダーズとしてリーダーシップを学ぶ。

自己分析の過程で本当にやりたいことはなんなのか?とお世話になっている社会人の元で就活か起業か1ヶ月半迷い、自己分析に自己分析を重ねた末スタートアップを立ち上げることを決意。まだ世の中にない仕事を作ることが天職だと悟る。

現在は関わった全ての人々に対する恩返しとして

・リモートワークによるインターン

・今夏8月15日を目処に登記することを目標に起業準備中

・しるべの役員としてスポンサーの方々へのお声掛け

・ゼロの運営

に携わっている。