ヒストリー

出身地

東京都立川市錦町

幼少期の暮らし、体験

まあ、とにかく​悪ガキ。

楽しみ方を間違えたのか、子供ならではなのか
高いマンションの屋上に行ってみたいとか
気になった場所に行ってみたり秘密基地を作ったり
周りの子はゲームなんかを家に集まってやってたり
してたけど、とにかく外で遊びたい子供だった自分
友達2人と毎日のように外で遊ぶ日々。
しかし嫌々極真空手道場に入れられ
師範代にボコボコにされる。
​親にwiiを買って貰うも殆ど外で遊び、余り
​弟や親が遊ぶ事が殆どだった。
妖怪ウォッチが楽しすぎて未だにプレイしている。


中学・高校時代

立川市立立川第三中学校&野田鎌田学園杉並高等専修学校
一年の頃に陸上部に入部。
短距離がやりたくて入部したが毎日10キロ走らされ
最初はきつかったがタイムが上がると楽しくなり
自分から長距離の大会などに出場する事も。
周りより身長が低かったため、皆よりも足が遅く
劣等感が凄かった。100mの大会などに出場
しかしタイムは伸びず、他の部活動もやりたかった
ので退部。その後部活動をすることはない。
2年はあっと言う間に過ぎ去り周りの友達も
外で遊ばなくなる。
周りの人が外で遊ばないことで、皆「つまらない大人」
になったと感じるようになる。
3年半ばで突如不登校になる。
理由は毎日同じ日々過ぎて刺激が足りなかったから。
後は勉強が出来なすぎて授業が嫌になってしまった。
その際通級教室に通うことになる。
通級の先生に進学を助けていただき、
高校へ入学。
色々な高校を見学に連れていってくれた
母親には感謝しきれない。

高校は野田鎌田学園へ入学(杉並)
中学の友達と一緒に入学した様な子が殆どいなかった
為、クラスの子達とはすぐに仲良くなれた。
先生も冗談の通じる先生だったため周りと比べてもかなり楽しく癖の強い教室になったと思う。
調理科と情報科のふたつの学科があり、自分は情報科
に入学、クラスメイトは調理科と比べるとほぼ少なく
学校行事以外ではほぼ関わりを持たない。

学校の課題でカレンダーの画像を作った際に
デザインのたのしさを知ることになる。
更に友人の遠藤(現TDG在学)におしえて貰った
クランアイコンを作る動画を見て、更にデザインに
ハマることになる。

体育の100mタイム測定で2年男子1位をとる。
しかし体育祭の選抜100mにでないと言うも
周りに説得され、渋々参加。
ゴールと同時に転び鎖骨を自分の顎で粉砕し骨折。
鎖骨をうごかさない器具を付けるも、
ブラジャーとバカにされる。

3年。
課題で友人のMVとドラマ撮影に参加。
自分の課題ではないが、楽しそうなので勝手に参加。
カメラマン手伝いという役割もあった。

自分は心霊番組を作る。
その際に映像製作の楽しさを知ることになる。
面倒な作業も楽しくこなせたため、長時間の作業も
全く苦にならなかった。
そ際に「先生からこっち向いてるんじゃない?」
と言われ、映像デザインの道に進むことを決める。
行きなり方向性を変えた自分の意見に親もびっくり。

6時間の話し合いを母親とすることになる。
土下座をして学費を出していただいた。

11月に予定されていた京都の修学旅行が
コロナで中止になりキレる。

コロナ禍で空いた時間を使い、自分が好きなゲーム
第五人格で、使徒というキャラを使いアジア53位まで
のしあがる。

卒業式に車で出席した同級生に笑いが止まらなくなる


大学・専門学校時代

東京デザイナー学院
作りたい映像が作れず。
本当はもっと出来るのに、と思っている。
提出期限が短かったりと手を抜いて製作
家にソフトがないため学校でしか作業が出来ず
家で動画を見て学ぶ。

どこかで開花したい。
才能がないとは思ってないが、
あるとも思っていない。でも向いているとは思う。