たすく
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ヒストリー

出身地

静岡県

幼少期の暮らし、体験

小学2年生の時に日韓ワールドカップを見てサッカー選手にあこがれ地元の少年団でサッカーを始めた。そのうち、もっとサッカーを本格的にやりたい!と思い、中学は公立ではなく私立を目指そうと決意した。

中学・高校時代

中学高校と一貫の私立に入学し、サッカー部に入部した。その私立は静岡県でもサッカー強豪校と知られており、とても密度の濃い中学3年と高校3年を歩んだ。中学3年のころには県大会ベスト4まで勝ち進み、それなりに成果も収めた。しかし、サッカーと同じくらい将来したいことができた。それがインフラに携わる土木という分野のお仕事だ。これは中学2年のころに経験した東日本大震災がキーだ。これによって自分の意識が変わり、静岡というと南海トラフ地震が起こる起こるといわれていたこともあり、本当に自分ごとに捉えることが大事だと悟り、その後この日本を陰ながら支えている土木のかっこよさに魅了されることとなった。

高校でもサッカーを続ける反面、土木の世界をもっと知りたいと思い、大学は土木として有名な先生がたくさんいた、横浜国立大学を目指した。しかし、当然サッカーをすんなりやめるわけにもいかなく、当時は悩みに悩んだ覚えがある。そこで私はどっちもやる決意をした。つまり、サッカーを最後までやりながらそのあと国公立にも入学する、ということだ。サッカーは選手権と呼ばれる最後の大会が高校3年生の11月まであり、そちらも最後までやり、そのあと並行して試験にも受けるようにした。口で言うのは結構簡単だが、相当きつく、体力勝負なところもあったが、何とかサッカーも11月までやり大学も現役で入ることができた。

自分の中でこの中高の6年間が本当に密度が濃く、人生観を変えた6年間だったので今でもこの6年間は大変だったと思う以上にパラダイムシフト期だったとして回顧している。

大学・専門学校時代

大学学部では土木工学を学びより一層自分の知識を蓄えた。部活もサッカー部に入部した。勉強のほうは学部1年の時に土木見学会(毎年学生で運営し、国内/国外の土木遺産を見学する会)で訪れた台湾での思い出がすごく残り、世界はすごく広いことを知る。土木という人を支える基盤の上に、世界各国でそれぞれのバックグラウンドの異なった人が使用するとこうも変わり得り、日本にはないようなことがなされていることに大変感銘を受け、学部4年の時の研究室配属では当時土木の中でも5分野(コンクリート/橋/水/地盤/交通)あり、その中でも「現場の人」に焦点を当てて議論している交通研究室に入ることにした。この学部4年の時の決断も自分にとっては今考えると大事なものであったと感じる。現場を大事にしているからこそ様々な国に行かしてもらった。主要な国で言うと学部4年の1年間でアメリカ/ブラジル/ドイツ/タイである。そこで得た知見は今でも大事なものとして自分の心を成長させてくれている。

大学院でもそのまま同大学の交通研究室に入り、ここでもいろんな経験をさせてくれた。現場に行くことはもちろん、上記の国に加えてラオスや中国、韓国などに行けるチャンスをもらい、大変充実していたし、今もしている。さらに大学院1年のころには留学生との機会も爆発的に増え、「Ted Talk」の司会や「Hult Prie」の運営など、まさに国の枠を超えたつながりで交流をした。もちろん国内の方々との出会いもたくさんあった。中でも大学内で誰でもフラッと立ち寄れる、サードプレイス的な場所を模索している方々との出会いも大きい。これはまさに自分が学部の時からしたかったことでもあり、今こうして尽力していることに尊敬のまなざしでいっぱいである。こんな感じで私個人のみならず、大学、そして私とつながってくれている人は自分にとってかけがえのない方々である以上に、自分を常にブラッシュアップしてくれる、そんなパワーのある方々であり、それにいつも支えられ生きている。自分のやっていないこと/これからやりたいことはまだまだあり、みんなと共同しながら頑張りたい。

就職活動にも恵まれ、来年からはプラントエンジニアリングとして働く予定であり、将来も相変わらず世界を飛び回るが、そんな未来に胸を馳せている。