後藤大和
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ヒストリー

出身地

茨城県

幼少期の暮らし、体験

小学校時代は、1~3年生までは授業中には積極的に手を挙げ、誰よりも発表する性格であり、何事も満足するまで完璧にこなそうとする完璧主義な側面もあった
しかし、4年生でその完璧主義が限界を迎え、うまくいかないことが多くなり、パッとしない4年生を過ごす。ここで程よく手を抜くことを覚え、効率や自分のメンタルを大事にする姿勢が身についた。



中学・高校時代

中学時代
3年間学級委員
3年生を送る会のフラッシュモブの主導
​体育祭応援団団長
サッカー部ゴールキーパー

高校時代
ハンドボール部部長

大学・専門学校時代

コロナで友達が作れない中、オンラインで大学の友達を作ろうと積極的にdiscordやZOOMなどの音声を介するコミュニケーションで人と関わった。
この関わりのおかげでキャップ野球チームへと所属した。大学1年生の10月頃から対面での交流を始める。
そして大学時代に頑張ったことの1つ目は、このキャップ野球チームの新歓活動だ。自分たちの学年はコロナの影響もあり5.6人とメンバーが少なく、紅白戦もままならなかった。そこでオンライン新歓を周りのサークルよりも圧倒的に早く行う、大学構内の目に留まる場所で練習することで練習と広報活動を並行させるという2点を工夫し、新歓活動を行った。結果、目標10人の4倍を超える43人の新入生が弊団体に入会してくれた。
​2年生になると、対面でのサークル活動が本格的に動き出し、我々2年生は新歓をされる側であった。そのため、キャップ野球チームでは新歓をする側、他のサークルでは新歓をされる側として、4月は非常に多くの人と関わった。そこで大規模なバレーボールサークルに入会した。
そして大学時代に頑張ったことの2つ目は、1からメンバーを集め、バレーボールの大会に出場したことだ。入会した大規模なバレーボールでは、大会に出場することはなく、バレーボールの水準は体育の授業くらいで和気あいあいと行うものだった。それも楽しかったのだが、バレーボールの上達を目指した私は、もう少し高い水準でバレーをやりたかった。そこで、バレーサークルの新歓で知り合った人を中心に熱く説得して5月に人を集め、約5ヶ月間練習し続けた。私は初心者であったため、経験者にルールや戦術を教えてもらいながら、体育館練習のある日は3時間、ない日は個人練習メニューをこなして30分間、毎日バレーに打ち込んだ。その努力の甲斐あって、経験者の足を引っ張らずにバレーができるようになった。それでも劣る分の力量の差は声出しや準備、片付けを始めとしたチームの雰囲気作りでカバーした。このような私個人とチームの努力の結果、大会では優勝こそ逃したものの3位入賞を果たした。また、この5ヶ月で絆が生まれ、大会メンバーでそのままサークルを設立した。この経験から共通の目標に向かって団結することの大切さを学んだ。
そこからは、キャップ野球チームとバレーボールサークルの2つの運営を主に行い、大学生活を謳歌してきた。