内山 礼子
フォロー コンタクト

ヒストリー

出身地

千葉県

幼少期の暮らし、体験

人とのコミュニケーションを取ることが苦手だった
そのためイラストをなるべく上手く描いて褒めてもらおうと必死でした。
小学校の全員参加の絵画コンテストも金賞特賞などをいただき自信がついてきたり、その時は両親や先生、クラスの人などにもイラストを描いている子と認知されていました。
​特にライトノベルのイラストに強く惹かれており、その頃から漠然とイラストで仕事をしたいと思っていました。

中学・高校時代

一番多感だった頃
とにかく人生で一番絵柄や作風の影響を受けた時期だと思います。
​自己紹介代わりに描いたイラストをファイリングし、持ち歩いていました。
今では考えられないくらい部外での創作活動も活発で、ネットなどで様々な方々と交流を持っていたり、合同で作品を作っていたりしていました。
若いうちに体験できたことも沢山あり、かなり良い経験になりましたが、思い出すと少々恥ずかしいです。

大学・専門学校時代

浪人や受験を体験したこと
高校の三年の夏を過ぎたころ、本格的に進路を決めなくてはならないと決意し大学受験のために一年間ほど美術の予備校に通っていました。現役では決まらず、一年浪人して入学しましたが二年になる前に退学をいたしました。
制作で悩むことはアーティストになる以上必須の通り道ですが、そのジレンマと過度な自己批判をしてしまっていたからです。
油絵でしたが、おそらく本当にやりたかったデジタルイラストと授業やその中で制作されていく自分らしくない作品にかなり乖離を感じ苦しくなっていたんだと思います。
今はそんなに考え過ぎなくてもいいじゃないかと感じますが、その頃は周りに相談できない環境を造り上げてしまっており、芳しくない状況に動じないと言い聞かせていました。
​しかし退学は後悔はしていません。

なぜ後悔していないのか
一息入れていた期間に出会えた人々や知識は重要でした。
辞めた後フリーターをしながら二次創作活動をしていたのですが、その時に知り合った友人や、その暇な時間に浪人時代の友人と再び交流があり相談する人間が増えていました。
レッテルを貼りがちな思考に反論をしてくれたり、逆に興味を持ったものに対して食いついてくれたりと、学ぶことが多くとても充実していたからです。

東京デザイナー学院で学ぶこと
根本的な技術力もそうですが、メインは自立です。
先述の通り、責任感を感じる性格ですが現実逃避気味なのである程度縛られていないと実力を発揮できないからです。
企業に勤めるもフリーランスも、絵を仕事にする限り社会性が大切だと考えています。頑張っています。