若松 杏
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ヒストリー

出身地

鹿児島県大島郡喜界町

幼少期の暮らし、体験

私は人口約7000人の小さな島で生まれ育ちました。3つ離れた姉と8つ離れた弟がいます。
今もですが、小さい頃から外で遊ぶ事が大好きで、よく虫とりや木登りをしたり、鬼ごっこをしたりしていました。
小さい頃は姉がしている事はなんでもしたくなり姉の影響でピアノもバレーボールも始めました。(でもピアノは練習時間とっても眠くて居眠りしながら練習していたのですぐ辞めました笑)また、小学4、5年生頃まで習字も習っていました。
今では食べる事が大好きで1日でご飯や美味しいものを食べる時間が1番幸せですが、幼稚園と小学校1年生の頃は給食の時間が大嫌いで毎日泣いていました。



中学・高校時代


中学生までは地元の中学校に通い高校からはバレーをするため鹿児島県の城西高校に行きました。3年間寮生活をし、春高を目指して頑張りました。勉強はほとんどせず毎日バレーという生活でした。高校2年生の時の新人戦ではノーシードから優勝することができました。私は中々レギュラーとしてコートに立つ事が出来なかったけど、諦めずに取り組んだ結果高校3年生の最後の春高予選ではたくさん試合に出てプレーする事が出来ました。結果は決勝戦で負けてしまい目標であった春高へ行く事は出来なかったけど、今までの試合で1番楽しい試合だったし私自身も3年間の中で1番イキイキしてた瞬間だったと思います。部活はきついことの方が多かったけど、学校では進学体育科というクラスだったので、種目は違うけどそれぞれ目標に向かって頑張る仲間としてお互い切磋琢磨しながら励まし合ったり、相談して支え合ったりできたし、クラスには明るくて面白い人達がたくさん居て教室では部活の嫌な事とかも忘れられてずっと教室に居たいと思うぐらいとても楽しかったです。
城西高校での3年間は私の大切な宝物です!

大学・専門学校時代

やりきった高校バレーだったけど、中々試合に出れず悔しい思いをしたので、大学ではレギュラーを取り良い成績を出し家族や高校の先生に恩返しをしたいと思い新たに頑張るためにこの帝塚山学院大学へ来ました。コロナ禍で試合も全然なく練習時間もあまり無いという日々に直面し、今まで当たり前にバレーができていた事が当たり前ではないという事に改めて気付かされました。バレーボールが出来る事に、させてもらえることに感謝し初心を忘れず、目標、目的を強く持ってこれからも頑張って行きます!

現在大学ではリベラルアーツ学科で勉強をしています。将来の夢は決まってないけど、ずっと海外に住みたい!海外で仕事をしたい!という思いがあるので、大学を卒業したらすぐ海外へ行きたいと思っています。高校でも大学でもバレー中心の生活で、人間性や人としてという点ではすごく成長する事が出来たが、外の世界に触れることがあまり出来なかったので、大学を卒業したら海外へ行ってたくさんの人に会って色々な人の考えや文化に触れて、日本では体験できない事を海外でして新しい知識などを身につけたいです。