飛口 未羽
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ヒストリー

出身地

宮崎県都城市

幼少期の暮らし、体験

11月1日という”1”に恵まれた日に誕生しました。昔から単純だったので誕生日が近づくと周りに一番だらけだ!やったー!と自慢してたのが懐かしくあります。幼少期はやんちゃで、よくショッピングモールの洋服コーナーで洋服の間に潜り込み隠れんぼして母に怒られるのがセットでした。

物づくりに興味が湧いてきた小学生時代の頃は、学校の授業も図画工作が一番好きでした。自分が考えたものが形になるのを体験していく度、わくわくと好奇心が増していきました。
当時の担任に初めてクラス代表として市の展示会に選ばれ評価されたことが何より嬉しかったです。初めて自分の作品が認められたと自覚した時は良くも悪くも自信に繋がりました。

そしてその大きな自信は将来目指す夢という形に収まりました。

中学・高校時代

宮崎県立都城工業高等学校 2021年卒業
まだ将来自分が作った物を社会に出していきたいというふわふわっとした夢を抱きながら成り行きで入学した中学、小学校時代のクラスメイトもいましたが他校から来た人も沢山いました。

心も体も変化し続けた中学生時代は今思い出しても一番印象に残ってます。良い記憶、良い人、良い経験はもちろん理不尽、馬が合わない人、黒歴史、本当に目まぐるしい濃ゆい三年間でした。正直嫌な記憶はぜーーーーーんぶ綺麗さっぱり消え去りたいと考えていますが、

将来自分の未来が華々しいと信じてた一年も
周りからの同調圧力を受け嫌悪感を感じ失望した二年も
初めて受験という仲間込みの蹴落とし合いの土俵に立たされ戦慄した三年も

今の私という人物が形作られた大事な思い出でもあります。
良いことも嫌なことも全部、全部ひっくるめて充実した三年間でした。当時の私はこの三年間の思い出に対してこれで良かったのか疑問に思うことがありましたが、今は中学時代の自分に「素晴らしい思い出をありがとう!」、、、と言いたいぐらい感謝しています。 

小学生時代は夢を、中学生時代は自身の人格の基盤を固めた時期なら高校生時代は夢に対する理想像を抱かせてくれました。

中学を卒業後、工業高校のインテリア科に入学しました。理由は、インテリアデザイナーになりたいッ!、、、、からではなく

当初中学同様まだ自分が目指すべき具体的なものが分からなかった私は、どんな形で自分の作品を社会に残せるかと考えた時インテリア科が一番の近道だと感じたからです。結果で言えば色んな意味で刺激を受け、成長に繋がりました。 

インテリア科はとにかく色んな物作りが出来ました。木製家具から塗装、金属製の箱など作っていきわくわくドキドキが止まらなかったです。そんな生活を送る中で次第に自分の作ったものを実際に使ってほしい、身近で実感してほしいと感じるようになっていきインテリアデザイナーっていいかもなぁと初めて具体的な夢を抱いていきました。

そんな私の夢に更に中身を詰めてくれたのは、高校3年のインターンシップの時の企業訪問先のことでした。インターン期間は1週間ほどで簡単な業務をこなしていました。残り2日でインターンが終わるところで社員の方に将来の夢を聞かれインテリアデザイナーになりたいと伝えると何か理想とかあるのかと聞かれ答える事が出来ませんでした。同時に今自分が抱いてる夢はただの中身がない殻ばかりが出来上がったものに過ぎないと感じました。その場は何とか切り抜けましたがインターンが終わった後ももんもんと頭の片隅で考えていました。

弓道を嗜んでいた中学とは打って変わって、高校では美術部に入部しました。
初めに感じたのは、美術部なだけありその分野に長けた人たちが多いなぁという印象を強く受けました。同じ趣味を持つ仲間ができた事で、身内特有の楽しさや闘争心を経験することが出来ました。

時に周りが凄いと過剰に感じ、自分に自信が無くなる時もありました。しかしそれは相手も感じていたと分かった時は互いに失笑してしまいました。



大学・専門学校時代

専門学校九州デザイナー学院