尾形 三四郎
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ヒストリー

出身地

福岡県行橋市

幼少期の暮らし、体験

幼少期は剣道をやりつつたまにイラストを描くといったような生活を送る。
剣道は自分で興味をもってやり始めたわけではなかったので、小学生卒業のタイミングでなんの迷いもなくやめた。
イラストについては、すでにあるキャラクターを使って自分だったらどう動かすか、といったような今で言う二次創作のようなことを主にやっていた。
また、友達と二人で藤子不二雄に憧れ、合同で漫画をかいたり、個人でも漫画を趣味で描いていた。ただ思いついたネタをそのまま描いて見せ合ったりしただけなので、ストーリーがあるわけでもなかったが、楽しく過ごしていた。

中学・高校時代

中学時代は幼少期の剣道と違って、自分で興味をもって始めた部活である、卓球をやった。自分で選択肢を決めて始めたことなので、すごく納得がいき満足した学校生活を送ることができた。
この時期はとにかく部活や学校生活が充実していたのでイラストや漫画についてはあまり描かなくなった。たまに描くイラストは、誰かに見せるでもなく細々と描いていた。

高校時代は自分の学力のレベルより高い進学校に入ったために、勉強に追われることになる。あまり学校の勉強に興味が持てず成績が振るわなかった自分は、勉強以外のことが評価されないように見えた高校が、自分に合わないことから少しずつ自信が持てなくなっていった。それでも皆勤賞が取れるくらいに毎日通学して何とかしがみついていた。
というのも当時の自分は学力がないと生きていけないと、自分に言い聞かせて思い込んでいたからである。これについては、今にしてみれば完全に間違っているとは思わないし、学力もないよりはあった方が、自分の視野が広がっていくので良いことだと理解しているので、悪くなかったとは思う。が、やはり自分の興味や、それに伴う選択などを自分で決めないと結局続かないものなのかもしれないと感じる良いきっかけになったと、今は思うようにしている。

大学・専門学校時代

進学校からの流れで変わらず勉強することに心血を注いで、一浪を経て大学に入学することができたが、相変わらず興味が持てない勉強に追われる日々となる。一浪したとはいえ最後まで問題の本質を理解するのではなく、解き方を暗記するといった付け焼刃に近いやり方しかできなかったことから、自分が本当にここにいて大丈夫なのかと疑うようになっていった。もともと普通に通ったとしても無事に大学が卒業できると思っていなかったが、流行り病の出現によりいよいよ現実味を帯びることとなった。
浪人時代もなぜ興味のない勉強をやってこれたかというと、同じように勉強を頑張るものがいたからだと思う。解き方を教わることも大事だが、加えて自分以外も同じようにつまずいていることなどの環境や状況がわかることも大事だと学んだ。これが流行り病によって周りが何もわからなくなってしまったことで、自分をさらに追い詰めることとなってしまった。
この調子でしばらく落ち込んでいたが、インターネットで様々な生き方で生きている人がいることを知り、学問は大事かもしれないが、それだけで人生が決定するわけではないことを知った。無論、どの道に進もうが生きていくのは大変であることはわかっていが、それでも自分の興味や思考が働く分野の方が、多少生きていきやすくなるかもしれないと思い、専門学校に舵をきり今に至る。