小さい頃の思い出は、両親に怒られたこと・ピアノの先生に怒られたこと・旅行の思い出がほとんどを占めています。
両親にはたくさん怒られました。そして怒られたらトイレに行っていつも泣いていました。当時はなんで怒られているのか理解できないこともあったので、悔し泣きでした。
ピアノの先生は厳しい方だったので、練習嫌いだったわたしは毎週のように怒られていました。でもピアノを始めて14年目、ピアノ人生最後の発表会での演奏後、先生が「泣きそうになった」と言って褒めてくれて、わたしも大感動でした。
両親は、国内・国外問わず様々な場所に連れて行ってくれました。両親だけでなく、わたしの家系はみんな仲が良いので、一族でよく旅行をしました。家族は、美味しいものをたくさん食べさせてくれて、普段の生活では見られないものをたくさん見せてくれました。
各地の博物館にもよく行きましたが、見学した後に、お父さんはフィールドワークみたいなこともしてくれました。例えば、新潟(多分)にあるフォッサマグナと翡翠の博物館に行った後、お父さんは姉とわたしを川に連れて行き、翡翠探しをさせました。あと、博物館じゃないけど、小さい時にわたしが地震の仕組みがよくわからないとボソッと言ったら、お父さんは蝋燭とわたしを使って解説をしてくれました。その時はちょーっと面倒くさいなと思っていましたが、見せるだけじゃなくて体験も一緒にさせてくれたおかげで、大学生になった今でも色んなことを覚えているので、父は偉大だな〜と思います。
こんな父と、THEお母さんって感じの母と、優しすぎる姉と、一族みんなに囲まれて、幸せな幼少期を過ごしました。
中学のときは、勉強も部活も最低限しかやらないあんまりよくない中学生でした。しかしここで人生の転機が訪れました。サッカーとの出会いです。小さい頃から父に連れられて見てはいましたが、ここで本格的にサッカーに取り憑かれます。この後わたしの人生は、サッカーに強く左右されることになります。
高校に無事進学し、中学のときからやると決めていた、サッカー部のマネージャーになりました。そしてベガルタ仙台サポーター・マネージャー・学業の三足のわらじを履くことになります。朝5時に起きて勉強し、学校に行って授業を受け、放課後部活をし、ベガルタの試合がある日は超特急でスタジアムに向かうという充実の毎日を送っていました。この頃の生活に戻りたいとは思いませんが、人生で一番ストイックな3年間でした。
一年の浪人生活を経て大学に進学し、WorldFut TSUKUBA(以下WFT)という団体に入りました。ちなみに浪人時代は、出会いにも恵まれて、考え方が大転換するような学びができたので、浪人してよかった派です。
そしてWFTとは、「サッカー×社会貢献」を軸に国内外で活動している学生団体です。WFTでは、高校までの自分のサッカーへの関わり方とは違う関わり方ができるので、とても気に入っています。これまでのサッカー人生で得た経験・想いを胸に、日々WFTでの活動に明け暮れています。とっても楽しいです。