山田愛伶菜
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ヒストリー

出身地

東京都

幼少期の暮らし、体験

周りからの評価を気にしすぎるあまり、謙虚過ぎていた。
嫌われたくない。


水泳、公文の習い事をしていた。

スイミーか学芸会(はつかねずみ)ナレーター役。
みんな(見ている保護者)に「小学生なのにすごいね、上手いね」と思ってもらう事。or   本番で楽しむため。

交流班→みんなが話せるよう頑張った。

放送委員→工夫した。

中学・高校時代

朋優学院高等学校 2020年卒業
【中学校】
・決め手: 近かったから?制服?同じが嫌だった?
・同じ小学校の子も知り合いもほとんどいない中で、自分から話しかけにいくことを頑張った。でも席の近い子にしか話しかけられなかった。

・お菓子部・・・珍しい部活に入りたかったから。
→私が二年生のときの部長さんに憧れた。お菓子作りの知識も技術も手際も良いし、おしゃれだし、発言も行動もスマートだった。
→3年のときは部長になった。
新歓と、大会代わりのイベントとして斑対抗の「クッキー選手権」の開催が特に大変だった。
同級生や他の部員を巻き込むのが、うまくできず、遠慮して頼ることもできず、自分ひとりで抱えて大変だった。
次に大変だったのが、同級生同士と上級生と下級生の仲を深めること。
これは失敗したし、特に働きかけてはない。要所要所でトライしたくらい。

・中学1年・・・英語のテストで100点を取った。
→頭いい子だというイメージをもたれた。嬉しかった。

・中学2年か3年の体育祭・・・ダンスリーダーをした。
→誰も立候補しなかったから。
リーダーを決める話し合いでも、誰も話を進めようとしないため自分が立候補した。
そのときに目立つ(注目を浴びる)のが好きなのだと実感した。
昔から目立ったことが無かったから。

・中学2年生・・・農業体験
→大きなトマトを沢山出してくれたが、みんな全然食べなかったのでもったいないし、せっかくだと思って沢山食べたら「トマト先輩」とあだ名をつけられた。
そのあとの修学旅行でも「トマト先輩」と声をかけられるようになったし、男子にも話しかけられるようになって嬉しかった。

中学2年生から塾(ena)に通って、塾の子たちと遊びに行くくらい仲良くなった。
そのときの塾長と、一時期だけ塾長の代わりで来てくれた先生が印象深い。

【高校】
高校は部活が精神的にも肉体的にもしんどかった。
段取りを自分たちで組まないといけないことも、宿題やテスト前で大変ななかでも台本全部覚えたり、殺陣も公演の流れもおさらいしたり自主練したりしないといけない。

受験勉強も年末年始も塾行ったり頑張ったけど、もっとできたことはあったなと思う。

・高1・・・
・高2・・・
・高3・・・



大学・専門学校時代

東京女子大学
第1志望の立教に落ちた。

・大学1年生
NPO法人で夏から9月ごろまでインターンした。入院中の子どもたち向けに「バーチャル水族館」を行った。そのオンラインでのイベント企画からアポ取り、動画撮影と制作が大変だった。

・大学2年生

・大学3年生


・バイト
塾講師と寿司屋の接客。

・学外
オンラインでのお金の講座、webマーケティングの講座、ボディシェイプのエステなど、大きな資金を、バイトで稼いだお金を、自己投資した。

マッチングアプリでゆるくOBOG訪問兼、いろんな人と話したり価値観を知っていったり、降りたことない駅や場所を開拓した。