未熟児ギリギリで生まれ、体は小さかったが体を動かすのが好きだった。5歳から空手をはじめ、7歳の時には全国大会に出場。しかし初戦で体格の大きい相手に惨敗した。周りから認められる喜びと、負ける悔しさ、日本の広さに少し触れた。
なぜか幼少期の好きな色はピンクだったらしい。兄が青で僕がピンク。今思えば、この頃から「誰かと同じ」ということにあまり惹かれない性格だったのかもしれない。ただ、高橋由伸のファンではあったらしい(親曰く)
5歳の時にハワイに連れて行ってもらって、その時の新鮮なキラキラした感情がなんとなく残っている。その時から海外への憧れみたいなものが生まれたのかもしれない。
小学校は6年間バスケットボールに没頭した。5年生からキャプテンを務め、6年生で全国出場。キャプテンとして、エースとして、チームを引っ張り結果を残した。周りからもチヤホヤされた。背か低かったが、「それでも戦えるんだ」という誇りすら持っていた。
中学校最初のテストで学年一位。その後も学年で十位以内には常にいて、勉強には困らなかった。生徒会長もやった。ブルブル震えながらも人前に出て話したり、文化祭でコントをしたり、合唱の指揮者をやったり、どれも勇気が必要だったが楽しかった。普段はやんちゃ軍団と仲良くて、生徒会長のくせによく怒られていた。
部活でも最初からスタメン。順調に思えたが、2年生の時に県選抜に落選した。3年最後の大会も市大会で敗退。大きめ挫折だった。キャプテンとしてもエースとしても力不足だったし、リーダーシップを履き違えていた。正しい(と思い込んでいる)ことを言えばチームはついてくると思っていた。一方で、部活と並行してクラブチームでも活動していて、その繋がりで福岡県の強豪校へ進学することができた。県内の進学校を勧める声が多かったが、バスケが好きで、本気で挑戦したいという気持ちの方が大きく、決断した。
高校入学当初はBチームの底辺スタート。スキルもフィジカルも圧倒的に足りなかった。2年からは、選手兼マネージャーとしてチームを支えた。このままマネージャーになった方がチームの役に立てるのではないかと思いつつも、まだやりきってないなと踏ん張り、ひたすら練習し、筋トレし、食べた。結果、2年で体重は15キロ、身長10センチ増で戦える体になった。2年に冬に初めて全国大会でベンチ入りし、3年でキャプテンに。インターハイベスト8進出を果たした。地道な努力が結果に表われる成功体験だった。一方、チームとしては日本一を目指していたため、悔しさは残った。
教育学部で、小中高全てで教育実習を経験し、教員免許を取得。しかし、教育現場の実態や業界全体の閉塞感に違和感を抱き、別の道を模索する。
バスケ部を3年途中で退部し、バスケから半年ほど離れる。やっぱりバスケが好きだと感じて社会人チームで再開。一旦離れたからこそ気づくことができ、スポーツ本来の楽しさを感じることができるようになった。
交換留学制度でヨーロッパのスロベニアに約半年間留学。英語のレベルが低すぎて引きこもりになりかけるも、なんとか踏ん張った。現地でバスケの試合に出させてもらったり、ヨーロッパを旅したり、不意なトラブルでヒッチハイクをしたり、非常に濃い時間を過ごした。チェコ人とポーランド人との共同生活は、大変なことも楽しいこともあり、メンタル面の幅が広がった。
縁あって、都内の上場IT企業で1年間インターンを経験(フルリモート)。SNS運用、動画編集、イベント運営、営業活動など、幅広い経験をさせていただいた。その関わりの中で、働くことや人生には多様な選択肢があることを実感し、視野が広がった。今まであったことのないような人にもたくさん出会い、素敵な友人も増えた。
今年が社会人1年目。未経験のIT分野で入社が決まり、そこから資格を4つ取得した。そういった姿勢を評価していただき、自社サービスの開発チームでキャリアをスタート。