待鳥 好美
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ヒストリー

出身地

日本 佐賀県

幼少期の暮らし、体験

2004年〜2016年(0〜12歳)
千代田保育園
開成小学校

日本の佐賀県に生まれ、歳の離れた姉兄に可愛がられていました。
佐賀県神埼市にある千代田保育園に通い、物心ついた時には絵を描いていました。
姉兄が自立して家を離れ、父の実家である福岡県柳川市に引っ越します。

その後父から母への家庭内暴力が日常的になり、幼いながらもどうにか父の暴力を止めようと家の中に暴力禁止のポスターを描いて貼るなど
自分にできることを工夫する力や、周りで何が起きているか察知する力がありました。その中でも絵は唯一自分の気持ちや考えを表す手段の一つでした。
その後私が卒園するタイミングで母子生活支援施設に保護され、福岡県福岡市に引っ越しました。

小学校に入学してからは、ドッチボールの球が怖かったりクラスメイトの喧嘩を見て机の下に隠れて号泣したりなど、トラウマを抱えつつも絵を描くことはやめませんでした。

そして音楽に合わせて踊ることも好きでした。これは保育園に通っていた頃から好きで、同級生から「上手だね!」と褒められることも多く、普段感じている音に合わせてリズムを取ったり横断歩道の信号の音に合わせて歩いたりしていました。

中学・高校時代

佐賀女子短期大学付属佐賀女子高等学校 2022年卒業
2017年〜2022年(13〜18歳)
鍋島中学校
佐賀女子高等学校

この時の将来の夢は漫画家になることでした。というのも私はこの時絵を描く仕事の中でも「画家」「美術の先生」「漫画家」「イラストレーター」くらいしか知らなかったのです。その中でも自分の想いを伝えられる職業が漫画家だったので、休み時間は漫画を描いて過ごしました。

その後「文字デザイナー」という職業があることをテレビで知った私は、「この世にあるもの全て誰かが考えて作っているんだ」と気づき、自分の作品が誰かの問題解決に繋がる「デザイナー」という職業を知ります。

また誰よりも一生懸命であることから部活の部長になりました。特別感のある体験が大好きで体育祭で応援団をしたり、文化祭では学年劇に出たりダンスをしたり、合唱のソロパートをやってみたり人の前に立って挑戦することが好きでした。

高校では、周りが大人になって夢を見なくなり世間一般的にいう正しい生き方や「めんどくさい」という感情で未来を潰している様子を見て自分だけ取り残されたような不安に襲われました。周りともどんどん馴染めなくなり、「夢を見ること、挑戦することや頑張ることは大人になったら捨てなくてはいけないのだろうか」と思い悩み悪いことばかり考えるようになりました。すると、バイト先ではうまく馴染めず、当時付き合っていた彼氏にも別れを告げられ今までもこれからもいいことなんて何もないんだと思い3日ほど行方をくらませたのち家にも帰れず学校にも行けず児童相談所の一時保護所で1ヶ月過ごしました。その後不登校になりながらも作品を描き、心理司さんと話をしながら過去の自分と向き合いました。

少しずつ学校に足を運べるようになってからは高校卒業時に行われる卒業制作展に向けて作品を描きため、佐賀で行われる美術展に全て出展し全て賞をとることを目標にして、高校での偉業を成し遂げようと努力をしました。「過去と向き合うこと」と「素直に描くこと」を1年間の作品テーマとし高校生活の最後を全うしました。いくつか作品も入賞し好きなことを頑張り続けることを周りは必ず評価してくれるということを知りました。そしてその逆もあり得るのだということも学びました。

「正直者はバカをみる」

今までで一番心に刺さった言葉です。

自分に嘘をつき、周りに嘘をつき賢く生きている人もいますが
正直に生きることで得られるいい体験もたくさんありました。

大学・専門学校時代

九州デザイナー学院
九州デザイナー学院

高校時代にIllustrator・Photoshopの勉強をしていた私は授業も毎日楽しく、課題にも前向きに取り組んでいます。新しい仲間には恵まれ、自分には思いつかないようなアイデアやいろんな人の価値観に触れていきたいと考えています。

さらにコミュニティを増やすべくギターを習ってみたり、地元のミュージカルに参加してみたり、初めてのライブハウスやバーに行ってみたり美術以外の世界にも目を向け日々刺激のある毎日を送っています。