成田 雄登
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ヒストリー

出身地

東京都

幼少期の暮らし、体験

生まれ

1998年の7月に東京都にて生誕。名前の由来は、当時の産婦人科の先生の名前に”ゆう”がつき、父と兄が”○○と”であったため、”ゆうと”と名付けられた。漢字は縁起の良い画数から”雄”と”登”が選ばれ、特に意味はないらしい。この事を知った時には、”雄々しく”や”出世”といった意味を予想していたために、幼心にもかなり幻滅したことを覚えています。

幼稚園・小学校

幼稚園・小学校と地元で通う。幼稚園は迎えの集合場所が家の前、小学校は徒歩3分と近く、学校の5分前チャイムが鳴ってから家を出ても間に合ったため、遅刻という事を知らない時代でした(中学に入りこの事が相当痛手となる)。身体能力(走る、跳ぶ)は基本的に並み程度であったが、物を扱うスポーツ(サッカー、野球etc...)はからきし。小学3年生の頃から水泳をはじめ、当初は苦手であったが、水泳が好きになり、現在までの趣味となってます。体を動かすことは好きであり、読書も好きだったため、休み時間は外で(苦手なサッカーなどを)遊ぶ事と図書館にいる事が多かったです。また、基本的に活発で、給食は大好きだったが特段量は食べません。担任の先生にシチューを足されそうになり、手で皿を塞いだら、大嫌いな海藻サラダのお皿にシチューを注がれたのは未だにはっきり記憶にあります。あれはない。

中学・高校時代

攻玉社高等学校 2017年卒業

部活

水泳が好きであったため、部活は中学校の時代には水泳部に入り、多くの時間を水泳に費やしました。しかし、日ごろから、掃除で遅れてきた先輩がそれを理由に坊主にされることなどが日常茶飯事であり、自分もルールを破った罰として坊主を命じられたため、すすんで辞めました。その後は陸上部に入れてもらい、跳躍競技をはじめました。(人が居な過ぎて)跳躍のブロック長になるも、結果は残せなかったけれど、楽しい生活でした。。

学校生活

中高時代は可も不可もない生活送っていました。中学1年生の頃は人見知りをしていたこともあり、静かだったからか、やたら先生からは優等生扱いされてました(事実とは異なります)。中学3年生には何故か先生から指名され副学級委員に選ばれてしまいました。拒否権というものが無い事に驚きましたね。そんな年に限って工作の授業で悪ふざけをした結果、副学級委員だからかめちゃくちゃ怒られたことがありました。その他は特に他愛ない生活を送っていた記憶があります。


大学・専門学校時代

明治学院大学

大学生活

そもそも経済学部に入った理由は一つの単純な”ミス”でした。元々、経済・経営的な分野に興味があったものの、受験した大学のほとんどで商学部を受験していたのですが、明治学院大学にはまさかの商学部が無かったんです。経営学か経済学かの選択で僕は適当に経済学を選んだ結果が現在です。経営の方がヨカッタナ(経済学も為になる授業は勿論あります)。それからは、基本的にきままに単位を選んでました。もともと将来の選択肢に税理士があったこともあり、大学で受けられる日商簿記の資格勉強を1年から始め、今は税理士を目指してます。

部活

もともと、新しいことを始めようと思いサークルの掛け持ちなどを考えていました。人生の中で最も自由な期間ともいわれる大学生の間は遊びまくってやろうと考えていたんです。しかし、それは入学してから数日でなしになってしまいました。元々興味を持っていたアーチェリー部を見に行ったところ、雰囲気も明るくのんびりしていたため、体育会ではありましたが入ろうという気持ちになっていました。

勉学を優先できる点も良い点だと思います。週2日と聞いていたのに休暇期間は週5日に増えている点は騙された気がするけど、楽しければ結果オーライでしょう。

その他

大学生からは特に、何をするにも自分次第です。部活やサークルに全身全霊で励むもよし。のんびりとコミュニティを楽しむのもよし。将来に向け勉学に励むもよし。そのどれかに固執せず、バランスをとっていくのも良いと思います。自分がやるべきだと思った事をやればよいと思いますから私もそうしています。