Kiyo
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ヒストリー

出身地

長野県松本市

幼少期の暮らし、体験

​​​​
外で遊ぶのが好きな、アクティブな女の子だった。
どれだけ綺麗な泥団子を作れるかを究めていた。

友達と営業ごっこをして遊んでいた。
ピーラーの良さを伝える営業ごっこをした。
この頃から、プレゼンが好きだったかもしれない。

​本を読むのも好きだった。
いやいや園を音読していたのを覚えている。

中学・高校時代

クラスで班長を担当。
中学では、生徒会に所属し、緑化委員長を担当。
今までにない、活動を取り入れて学内の緑化に努めた。

高校では、バドミントン部に所属。
高校から始めたが、経験者の人に相手を頼み、朝練にも積極的に参加。
結果、最後の大会では団体戦でスタメン入りし、県大会出場を果たした。

生徒会では合唱コンクール委員に所属。
練習に乗り切でないクラスメイトを説得し、練習を行った。コンクール当日は銀賞を取得。

大学受験では、高得点が取れずに浪人することに。
予備校で、東北地方のボランティアに力を入れる先生と出会い、大きな影響を受けた。
私もボランティアに参加し、自分の目で見て、自分の耳で話を聞く大切さを感じた。
お礼の方法として、朗読を知る。

大学・専門学校時代

​​​​サークル活動に力を入れた。
大学から初めて軽音楽でギターを始めた。
経験者の人と差が激しく、ライブに出られないことが多かったが、授業後に練習や、積極的にスタジオを借りて練習した。
結果、最後の引退後ライブの大トリ決めで、最多票を獲得し、大トリを努めることができた。

大学では、学科に女子が少なく、女子全員とグループとして遊んだ。
​メンバーは十人十色で、この時からファシリテート力が備わってきたと思う。

授業で、がんと闘病しながら授業をしてくださる先生と出会う。
薬の面白さ、開発の大変さを学んだ。
有名な薬がヤナギの木由来であることを知る。
農学部だった私は、その時地球環境にも人にも優しい薬の開発が可能になるのではと考える。
創薬科学研究科に進学を決める。

​大学院ではファシリテート力の向上に力を入れた。
大学院で、融合研究推進プログラムに所属。
分野の異なる学生で構成されるグループでファシリテーターを担当。
チームをまとめて、融合研究提案コンテストで2位を受賞。

研究室が優秀な方が多く、自分の実験データがうまく出ずに挫折。
まずは、挑戦しなければ何も得られないと思い、2倍の実験を行った。
効率化も重要なファクターであることを学び、解析の効率化などを詳しい人に積極的に聞きに行った。
​時間のかかってしまう作業は技術委員さんにも協力をお願いした。
実験前には、チームに実験計画を共有し、検討すべき項目に抜けがないかを確認した。
結果、4細胞種分のデータを取得でき、共通性を発見できたことに加え、学会でも発表を行うことができた。
さらに優秀発表賞も取得した。



また海外研修にも参加。
国籍の異なる学生達をまとめて、一つの発表を作り上げた。