ざわ
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ヒストリー

出身地

三重県名張市

幼少期の暮らし、体験

好奇心が強く、考えるより先に行動するような子供でした。それが裏目に出て親に迷惑をかけることも少なくありませんでしたが、いつもたくさんの人に囲まれて育ってきたことを覚えています。10歳のころにバスケットボールをはじめ、勝負に負けるくやしさと同時に本気でやったことが成功する高揚感を覚えました。

中学・高校時代

中学高校ともに、級長や生徒会長、部長場殿役職に就くことがおおく、学校の広報に文章を掲載していただいたり、高校1年生の時は中学生への学校説明会の際に、300人ほどの前で新入生代表としてスピーチを行わせていただいたりと、得難い経験を積んできました。また、「誰かがマイナスを背負うなら、自分が背負う」というマインドがあり、それに基づいて高校3年間、通学路の路上に捨てられているごみを拾う作業を独自に行っていました。表彰されるわけでも誰かにご褒美をもらえるわけでもありませんでしたが、母が喜んでくれたので3年間続けることができました。いろいろな経験を積んできましたが、最も印象に残っているのは高校での部活動です。10歳のころから始めたバスケットボールを高校でも続けていました。高校1年の時、実力を認めてもらい、レギュラー入りを果たし、その後、シックスマンという控えの一人目まで昇格しました。しかし、高校2年になって先輩たちの最後の試合でミスをしてしまい、それが頭から離れなくなってしまって練習中も試合中もミスが続発し、気づいたら試合でシュートが一本も入らないほどのスランプに陥ってました。試合で活躍ができないので当然レギュラーからも外されてしまい、自暴自棄になりました。心に余裕がなくなり、チームメイトにもあたってしまい、部活内で孤立。その矢先に骨化性筋炎というけがに見舞われ二か月のドクターストップがかかりました。大好きなバスケが嫌いになり、にげそうになりましたがここで逃げてしまったら、一生後悔すると思い、現状の理解から始めました。ケガでプレーはできないが、治ってからすぐに練習に参加できるように今すべきことを探し、実行。復帰してからは誰よりも早く朝練に来て、シューティングを欠かさず、放課後の全体練習後もランニング3㎞を引退まで欠かさずに続けました。大変でしたが、支えてくれた親のおかげで継続することができました。その経験が自信につながり、引退試合でシュートを決めることができたことを今でも覚えています。また進学校でもあったことから勉強をおろそかにはできませんでしたが、勉強自体が好きだったこともあり、別段苦には感じず、また負けず嫌いの性格も高じて、高校1年から高校3年の全定期テストでクラス内1位をキープしました。

大学・専門学校時代

岡山大学

大学生活は少し競争とは離れたところで過ごしていたので、気持ちの浮き沈みはそれほどなく、よくいえば平凡な生活を、悪く言えば受動的な生活を送っていたと感じます。この大学生活において印象的な出来事が3つあります。一つ目は大学2年の時にとあるビジネスプランコンテストに出た経験です。何が印象に残ったかというと、同じチームになったある男の子の言動です。思考がはっきりしていて、説明が論理的で同い年でここまでのレベルに達しているのかと素直に尊敬したことを未だに覚えています。その日から、意識的に、論理的に説明することを心がけるようになりました。二つ目は同年の春休みに学部の研修でベトナムに行った経験です。ベトナムに支社を持つ日本の企業を訪問し、戦略や現状を聞くという研修でした。ベトナムは好奇心をあふれさせるような国で、街並みの違いはもちろん、日本との違いに直接肌で触れ、感じたことは自由でした。ベトナムが自由な国という意味ではなく、僕自身が自由という意味です。日本にいてはこの景色は見ることはなかったし、この空気に触れることもなかったと思うと、ベトナムに言ってよかったし、たくさんのことに前向きに挑戦していくことが大事かなと感じられました。三つめはベトナムから帰ってきてから、ギターを始めたことです。中学生の時から弾いてみたかったものの、一歩が踏み出せませんでしたが、やらないのは損だなと思い、購入しました。なぜこれが印象に残っているのかというと、ずっとしてみたかったというのもありますが、自ら稼いだお金で自分だけのために買い物をするという特別な感情を今まで感じたことがなかったからです。紡ぐ音1つ1つが指を伝って心を震わせ感覚は、これまで味わったどの感情とも違うもので新鮮な喜びを感じました。