宮本 華花
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ヒストリー

出身地

愛知県

幼少期の暮らし、体験

ピアノや書道、英会話、水泳、バレエといった様々な習い事に通わせてもらっていた。小学4年生のころに私の一つの失言が私の住んでいる近所地域を巻き込む大問題となり、小学生の噂の広がる力はすごいと思ったのと、自分の発言がどういうことなのかどういう影響を及ぼすのかを考え、友達と軽い雑談のつもりでも発言には気を付けるべきだと思った。小5のときに友達から「君は自己中心的だ」と言われ、どのような発言行動が他人によくないように見えるのかと他人の目を特に気にするようになった。周りから見る「いい人、仲良くなりたいと思ってもらえる人」になるにはどういう行動発言をすべきなのかを考えるようになった。中学受験を経験。

中学・高校時代

愛知淑徳高等学校 2018年卒業

中学、高校エスカレーター式の私立の女子校で過ごす。中二のときにクラスに居心地の悪さを感じた。人間関係ってむずかしいな。中三のときにようやくそれなりにうまく社会になじめる自分の振舞い方を覚えることができた(気がする)。でも誰にでも受け入れられるようなオールマイティな人間になるのは難しい。テニス部の部長や副部長を経験。生徒会には中三から高二の三年間所属していた。広告協賛をお願いするため、企業に電話をかけたり、学園祭に必要な道具やパンフレット作製の原稿相談をしたりと社会人の方とかかわったりと生徒会に所属していないとできないような貴重な経験をさせてもらった。高校生のころあたりから、そのときにしかできない自分のやりたいことにはとりあえず飛び込んでみるべきだと考えるようになった。

大学・専門学校時代

法政大学

三月から一人暮らしになる。一年に体育会少林寺拳法部、テニスサークルに所属。やりたいことが多すぎて困る。親の保護下にいたころはある程度セーブがかかったが、自由になった分自己管理の大切さを思い知った。二年になり、大学にも慣れたところで活動の幅を広げようと思い、色々調べ探した結果ゼロに入る。

大学二年生のコロナ禍という環境に病む。今までできたことすべてができなくなり、一年生の頃とはうってかわり、全くベッドのうえから起き上がれなくなる。
いろんな人の助けを借りながら、回復した。現在は元気にゼロの広報として動いている。自分が何かをできる時間は限られている、だからこそ、時間を大切にしようとしてむやみやたらといろんなものに手を出すのではなく、本当にやれるかどうか、自分に今余裕があるかどうか考えることも重要である。